2nd Stage:Scene 5

キャラジェネの限界


 成康の眼前でピョコピョコと跳びはねる奇妙な不定形の生物……。その横には、カラフルな衣装をまとったピエロにも似た小さな玉乗りロボットの姿があった。
 よく見ると、これまで不定形の生物と思えたのは、色が不定なビーズ玉が離散集合して多様な形状を形成していることがわかった。つまり、色変化をするビーズ玉が不定形の生物を創造し、さらには跳びはねているような錯覚さえも演出していたというわけだ。
 その演出の鮮やかさに、成康はついわれを忘れて見とれていた。すると、それを見透かしたように玉乗りロボットが声をかけてきた。

「どうだい、まっこと驚いただろぴょん!」
「こりゃ見事だッ。ホント、きれいッスねェ〜!」
「これがグラフィックVRAMの実力というものなんだぴょん!」
「エッ、ということは……?」
「文字が出れば画像。それも白黒からカラーとなるのは当然の成り行きだぴょん!」
「た、確かにそうッスね」
「その原理を具体化して見せるのが、おいらの役目だぴょんッ!」

 ディスプレイに文字が表示されれば、次に絵を表示したくなるのは人間の向上心がもたらす当然の成り行き。その過程においては、テキスト文字のフォントデータを加工して作画する簡易タイプも出現したが、しょせんマス目単位での表現力では満足できるはずもない。
 すなわち、最終的に向かう先はフルカラーによる写真画質の表示システムなのだ。となれば、全画面を構成するピクセル単位での画像表現ができなければならない。

ピクセルとドット


 ピクセル(Picture Elementの略)は画素と訳され、ディスプレイの表示状況に応じた最小単位である。したがって、画像はピクセルが織り成す芸術作品ということになる。
 同類語にドットがあるが、こちらはディスプレイ本来の最小表示単位を意味する。つまり、ディスプレイの表示状況(きめ細かさ)が最高のときにはドット=ピクセルとなるが、それ以外はピクセルはドットの集合体となる。
 ディスプレイの表示エリアは、一般に画面サイズ(15インチとか17インチなど)をフルに利用するようになっている。例えば、画面領域を1024×768ピクセルから640×480ピクセルに変更しても、全体の画面サイズは基本的に変わらない。
 過去においては、表示エリアそのものが変化する、すなわち常にドット=ピクセルとなる液晶ディスプレイも存在したが、現在では表示エリアは一般的に固定サイズとなっている。
 1ピクセルのサイズは、このように画面モードによって自動的に伸縮しているわけだが、これはあくまでも知識としての実態。すべてはハードウェアによる自動処理なので、1ピクセルが表現の最小単位であることさえわかればよいのだ。

「要するに、どういうことッスか?」
「つまり、このビーズ玉がピクセルというわけだぴょん」
「そうか、この不定形生物みたいなのはピクセルが集まってできた画像ということッスね!」
「そういうことだぴょん!」
「でも、どうやってピクセルの色は変化しているの?」
「そう、そうこなくっちゃ……ネッ!」

 マス目別に表示するテキスト画面に対し、ピクセル単位で表示する画面のことをグラフィック画面という。そして、そこで使われる特殊メモリがグラフィックVRAMなのである。
 現在では、フルカラーで精細な表示をするのが当たり前のグラフィック画面だが、当初は単なる白黒画面。1ビットで1ピクセル(白か黒)を表現していたのである。
 だが、これがカラーモードとなるのはごく自然の流れ。ただし、カラーモードについては光の三原色を理解しなければならない。

 光の三原色とは、R(Red:赤)、G(Green:緑)、B(Blue:青)の3つのプレーンの重なり具合によって、基本的な8色を作り出すものだ。1ピクセルの表示に3ビットを要し、プレーン別の状態を示す番号(0〜7)でカラーを表現することができる。
 基本カラー8色の場合、一般的に1バイトで横8ピクセル分の≪オン/オフ≫をプレーン別に示すことが多い。つまり、3バイトで横8ピクセルのカラー表示を担うのだ。

 次いで、輝度面という明るさのプレーンを持たせた16色表示モード。さらには、1ピクセルに1バイトを使って256色を表現する8ビットカラーモード。1ピクセルに2バイトを使って65,536色を表現する16ビットカラーモード。そして、1ピクセルに3バイトを使って16,777,216色を表現する24ビットカラーモードと表現力のアップが続いた。
 近年では、さらに上を行く32ビットカラーモードもあるが、この+1バイト分は半透明処理などの拡張用として用意されたものであり、実質的には24ビットカラーの約1,670万色をもって自然色(フルカラーあるいはトゥルーカラーともいう)としている。
 こうした表示カラーの違いによって1ピクセルに要するバイト数が決定されるわけだが、画面全体に必要なG.VRAM数となると、ユーザー各自が設定する画面の領域(=横×縦のピクセル数)によって異なってくる。
 すなわち、画面表示に必要なG.VRAM総数は……
G.VRAM総数=1ピクセルのバイト数×画面の領域(=横×縦のピクセル数)
となる。
 したがって、計算上の最大表示能力は本体が搭載しているG.VRAM総数以下に収まる画面モードということになる。
 ただし、計算以前の問題として「接続されているディスプレイの表示能力で最大画面領域が決定される」ことも忘れてはならない。もちろん、これはサイズ(15インチとか17インチ……など)のことではなく縦横のドット数が示す解像度である。
 ディスプレイの能力を考慮しない場合、描画速度を含めて最大表示能力を左右しているのは、俗にグラフィックボードと呼ばれる専用ボードである。

グラフィックボード


 ビデオボード、あるいはグラフィックカード、ビデオカードともいう。パーツ類においては、用語は統一されていないことが多い。
 また、新しい仕様や取り付け方法が誕生すると、それに応じた呼称も現れてくるもの。ただし、本質的な役割は変わっていないので基本がわかっていれば迷うことはない。
 比較的廉価な製品ではG.VRAMが通常メモリの一部を占有するケースも少なくないが、本来「G.VRAMはグラフィックボード上に配置された基本部品」なのだ。
 すなわち、貧弱なグラフィックボードではCPUの実力をフルに発揮できないし、逆にいくらグラフィックボードが高級でもCPUが力不足では宝の持ち腐れとなってしまう。人間社会と同様に、コンピュータの世界も大切なのはバランスというわけである。
 ちなみに、テキスト画面とグラフィック画面が独立して同時表示できる時代は去り、現在では別個の画面モードとして存在している。といっても、事実上はグラフィック画面の寡占状態で、テキスト画面は起動時などにチラリと見かける程度。表立って利用されることはほとんどない。それでも、決して抹消されることもなく、用途を与えられて残っているところがスバラシイではないか。

「な〜るほどッ!」
「どうやらカラー画面表示の原理がわかったみたいだなぴょん」
「はい、ピョンピョン動くピクセル玉のお陰ってことッスね!」
「たはッ、おいらのお陰じゃなかったのかぴょん?」
「ア、もちろんそれは当然のことでして……」
「マァ、よかぴょんばい。それより次は右手の小道を進むんだぴょん!」
「エッ?」
「その先の岸壁できっと新しい発見があるだぴょんぴょ〜ん」

 成康の返答を確認しようともせず、珍妙な玉乗りロボットとカラフルなビーズ玉はぴょんぴょん跳ねながら立ち去ってしまった。
 何はともあれ、テキストVRAMに加えてグラフィックVRAMの存在と仕組みを知ったことで、メモリに対する理解は一段と深まった。となれば、教えられたとおりに緑に囲まれた小道を進むしかない。いったい、その先には何があるというのだろう?


COFFEE BREAK:ビデオ規格の流れ

 パソコンの黎明期には、各社独自のビデオ規格(ディスプレイと表示に関する規格)が乱立していた。これを統一したのがVESA(Video Electronics Standards Association)であり、紆余曲折を重ねながら共通規格をまとめ上げたのである。
 すなわち、一般にディスプレイの解像度を示す用語として使われているのは、VESAで認められたVESA規格というわけだ。
規格名 解像度
VGA(Video Graphics Array) 640×480ピクセル
SVGA(Super VGA) 800×600ピクセル
XGA(eXtended Graphics Array) 1024×768ピクセル
SXGA(Super XGA) 1280×1024ピクセル
UXGA(Ultra XGA) 1600×1200ピクセル
 ただし、これらは用語のほうが一人歩きをしてしまった好例で、実際の規格はこのような単純なものではない。例えば、VGAには320×200ドットのモードもあるし、テキスト画面の解像度やビデオ信号(表示のための電気信号)など多岐に渡って規格化されている。
 こうした規格統一と進化の経緯があって、Windows系のDOS/Vマシンというスタイルが確立されていったのだが、いっぽうかつて日本の王者として君臨していたNEC・PC-9800シリーズの標準解像度は640×400ドットであった。
 このVESA規格(VGA)との縦80ドットの違いのため、そのままでは世界の標準ソフトウェアの下80ドット分を表示することができないことになる。つまり、英語版から日本語版へのプログラム変更以前に、まずデザイン面での仕様変更を余儀なくされることになるのだ。
 これは、実際問題として容易に解決できることではない。PC-9800シリーズ王国崩壊の裏には、いくつもの事情が複雑にからんでいることは事実……だとしても、この縦80ドットの不足は目に見えるだけに実に説得力のある要因であった。