1st Stage:Scene 1

アナログ坂とデジタル階段


 園木成康(そのき・なりやす)が、これから旅立とうとしているパ界ことパソコンの世界。だが、実は成康はパソコンについてはまったくのド素人なのだった。
 もちろん、現代の若者らしくコンピュータゲームで遊んだことはある。しかし、この際そんなことは何の役にも立たない。ゲームは、コンピュータの実力を誇示することはあっても、裏側のカラクリなどカケラほども見せてはくれないからだ。
 このままワケのわからない世界へ直行すれば、どういう結末が待ち構えているか、いくらノンビリ屋の成康でも、それくらいの想像はつく。すべからく準備というものは必要なのだ。
 そこで、成康はかねてからパ界の現実化に取り組んでいるという人生の大先輩、魔界堂一徹(まかいどう・いってつ)老人を訪ねたのだった。

 通称をマカイ老師と呼ばれるこの老人は、成康に向かってパ界を旅するための予備知識を丁寧に伝授してくれた。
 老師が最初に選んだテーマは、コンピュータ社会を象徴する用語として多用されているデジタルについて。もちろん、デジタルといえば対極にある用語アナログにも触れないわけにはいかない。
 アナログとデジタル……。おそらく誰しもが身近な対比例として時計を思い浮かべることだろう。となれば、両者の違いは「アナログは針」で「デジタルは数字」ということになる。

 しかし、これがそもそもの誤解の始まりなのだ。なぜなら、こうした使い方は時計の文字盤を区別するために流用された副次的用法に過ぎないからだ。
 そもそも「カッチコッチ」と機械式に時を刻む時計しかなかった時代には、アナログ時計という言葉すら存在していなかった。つまり、時刻を数字で表示する時計の出現によって、否応なしに分類する必要が出てきたわけである。

 では、本来の意味における違いとは何なのだろうか。この際、パ界へのファーストステップとして正しく理解をしておかねばなるまい。
 というわけで、マ界老師によって示された正解は、まったくもって言語明瞭・意味不明の内容であった。
 すなわち、アナログは「数値を無段階に連続する物理量で示すこと」で、デジタルのほうは「最小単位を1ステップとして段階的に示すこと」というもの。典型的な、わかりにくい模範解答といえよう。

「ちょ、ちょっと待ってヨ。こういう思いやりのない解説が、パソコンアレルギーになる最大の原因なんじゃないの? もっと、初心者にわかりやすく、納得のいく説明がほしいッス!」
「これ、ノンビリ屋がアセるでない。まだ話は終わってはおらんゾ。真の説明は、これからじゃ。ここに、円錐形の山を登る坂道と階段があるとする。名づけて、アナログ坂とデジタル階段……」

 アナログ坂は、2つの異なった点があれば、どんなに接近していても必ず高低差を示せる。これに対して、デジタル階段のほうは高低差をステップ単位でしか示せない。
 図1-1.2を見ればわかるように、場合によっては高低差を表現できなくなってしまうこともある。これが、無段階に高さを示せるアナログ坂との根本的な違いである。

 要するに、両者の違いは概念の違いであって、具体的な表示法を意味するものではないということ。
 だから、昔ながらの水銀柱による寒暖計や体温計、あるいは比重計、分度器、定規やメジャー、マイクロメーター……というように、針がなくてもアナログの部類に属しているものは少なくない。
 いっぽう、数ある時計の中には液晶ディスプレイに針を表示する「液晶アナログ時計」というものも実在する。

液晶ディスプレイ


 光の透過率が電圧によって変化する物質(←液晶という)を透明パネルにはさみ、その特性を利用して表示装置としたもの。
 個々の液晶サイズやデザインは、用途に応じて自在に変えることができる。ただし、液晶単位での表示位置はパネルにはさんだ場所に固定される。
 商品コンセプトとしては、それなりに納得できるし不満もない。
 しかし、どんなに細かく液晶針をパネルに刻んでみたところで、液晶ディスプレイの構造からして無段階に連続させることは不可能だ。
 したがって、デジタルとアナログという用語本来の定義からすれば、これはアナログ時計の雰囲気を持ったデジタル時計ということになる。決して、数字や針の有無がデジタルとアナログを区別しているわけではないのだ。

 こうした実例から、それとなくアナログとデジタルの本質的な違いが浮き彫りになってきたと思う。それでは、なぜ「コンピュータはデジタルの範疇に含まれる」のだろうか?
 実は、この何気ない問いかけにこそ、コンピュータの特徴を決定している重要なカギが潜んでいるのである。


COFFEE BREAK:ウサギとカメ

 ウサギとカメといえば、典型的な競争相手として取り上げられることが多い。その中で、ウサギは絶対にカメに追いつかないという理屈っぽい話がある。
 すなわち、カメがいた地点に追いかける側のウサギが到着すると、カメはその間に必ず前進してしまう。ウサギが再びそこへ到達すると、カメもまた少しは前進する。だから、いくらこれを繰り返しても、永久にカメに追いつくことはないというのだ。
 ここでのゴマカシ理論のポイントは、時間の間隔をどんどん短く刻んでいるということ。実際には10秒後に追いつく場合でも、9秒後、9.9秒後、9.99秒後、9.999秒後……と、理論上の時間を刻んでしまえば、永遠に10秒後はやって来ないことになる。
 しかし、こういう理屈が成立するのはアナログの世界だけ。デジタルの世界では最小単位が決まっているから、加算を繰り返せばいつかは必ず10秒後がやって来てしまう。
 われわれ人間が、いかにアナログ社会に無条件で溶け込んでいるかの好例といえそうだが、デジタル社会ではこうした不条理な理論は最初から成り立たない。この点においては、デジタル社会のほうが合理的といえるだろう。