2nd Stage:Scene 1

砂よりシリコン


 どちらかというと、半強制的にパ界に送り出されてしまった成康。マカイ老師との軽妙な会話に、多少の未練がないわけではなかった。また、急激な展開に対する不安も少なからずあった。
 しかし、そんなことよりも眼前に広がるパ界の奇妙な光景に、われを忘れて目をランランと輝かせていたのだった。
 砂漠でもないのに、砂と岩石ばかりが目立つ無機質で荒涼とした世界。本当に、マカイ老師の構築物なのだろうか。異様にそびえ立つ、ねじれ曲がった奇岩の数々。例えていうなら、まるで地獄の一丁目だ。
 これが最先端の近代文明であるパ界の姿なのだろうか……と、成康がキョロキョロと周囲を見回していたときであった。
 なんと、足元の砂がモコモコと立ち上がったのだ。スワ、いきなり妖怪・砂かけ男の登場か!?

「踏みつけるなんて、ひどいじゃないかッ! オレ様を誰だと思っているんだ?」
「ワァ〜オ!? 砂がしゃべったッ!」
「砂じゃないッ! 原子番号14、原子量28.1、元素記号Siのシリコンであるゾッ!」
「よくわかんないけど、やっぱり砂なんじゃないの?」

 シリコン(珪素:けいそ)は、地球上で酸素に次いで多いとされる物質だ。自然界では他の元素と結合して存在しており、シリコン単結晶では産出しない。
 そして、砂や石の主成分は酸化珪素である。成康が単純に砂と判断したのも、あながち誤りとはいえないだろう。

「オレ様は、あらゆるエレクトロニクス製品の内部に浸透しているのだ。いわば電子素材の主役といったところだ。その辺にある砂とは、ちょっとばかり純度が違うんだゾ!」
「ホォ〜ッ。でも、コンピュータのどこに砂があるんだろ?」
「砂じゃないってば……!」

 コンピュータの内部に深く関わりのあるというシリコン。その根拠は、半導体の原材料として広範囲に使われていることにある。
 といっても、実際に半導体の原料となっているのは高純度の珪石であって、どこにでもあるような砂や石ではない。実際、こうした高純度の珪石は日本では産出せず、全量を輸入に頼っているのが現状だ。
 ちなみに、半導体というのは電気を通す導体と電気を通さない不導体(=絶縁体)の中間に位置するものをいう。広義には、少しだけ電気を通すものを指すこともあるが、一般には「条件によって導体になったり不導体になったりする物質」と解釈される。

 いうなれば、どっちつかずのコウモリ(←鳥類からは哺乳類と見下され、哺乳類からは鳥の仲間と軽蔑される寓話から)みたいな存在なのだ。人間社会では、こういう性質は嫌われ者の烙印を押されるのが常だが、うまく利用すればこんな便利なものはない。
 しかも、人間のように気分や気まぐれでフラフラするのではなく、特性を形成する条件がハッキリしているのだ。
 具体的には、シリコンに添加する不純物の内容や割合で、半導体としての特性(導体になったり不導体になったりする条件)が決定される。この特性を利用することで、トランジスタ、ダイオード、メモリ、IC(集積回路)、LSI(大規模集積回路)……といった多種多様なエレクトロニクス部品が製造されている。
 あえて語るまでもなく、これらはパソコン内部においても大量に使用されている。形状はいろいろだが、代表的なものは俗に「ゲジゲジ」と呼ばれるタイプだ。

 アメリカでは、こうした半導体のメーカーや研究所の多くが、サンフランシスコ南部のサンタクララ渓谷周辺に集中している。そのため、この一帯はシリコンバレーと称されるようになった。
 ただし、これは典型的な「類は友を呼ぶ」ケースであり、決してシリコンが豊富に産出する渓谷というわけではない。

 日本の九州も半導体関連の企業が多く進出しており、シリコンバレーにちなんでシリコンアイランドと呼ばれている。シリコンは、まさに半導体産業の代名詞なのだ。

「どうだ、シリコンの素晴らしさがわかっただろう。このパ界で、オレ様を踏みつけることは、自殺行為に等しいのだゾ。オホン!」
「ウ〜ム、とりあえずシリコンの重要性は認めるヨ!」
「それにナ、グラム当たりの単価だって金より高いんだゾ。元が砂と同類ということを思えば、驚異の大変身、これぞ現代の錬金術……みたいだろ!」
「フム〜ッ、ムムム……」

 成康が、砂かけ男ならぬシリコンの勢いに押されてうろたえていると、マカイ老師からもらったPDA(携帯情報端末)にメールが入った。スマイル・アユミンからだった。

ニッコリ・メール(その1)


 大まかな経緯は老師から連絡があったわ。そろそろシリコンの口撃に悩まされているころだと思って、おたすけのメールを送ってみました。
 確かにね、高価な半導体を単に「砂に含まれるシリコンが化けたもの」だとするなら、現代の錬金術と評されることにも一理あるわ。本当に金より高くなっちゃうこともあるからね。
 でもね、金は「永久に金であり続ける」けど、半導体は製造した瞬間がほぼ最高値で、その後は坂道を転げ落ちるように値下がりするものなの。
 まれに災害などの特殊事情で高騰することはあっても、10年単位のスパンで見れば暴落確実。それどころか、最終的には処分費用まで必要になるご時世よ。
 とりあえず、骨董価値というレベルになれば話は別だけど、半導体をもって「現代の錬金術」とするのは誇大広告だわ。というより、そんな話はごく一部の無知なマスコミの例え話なのよ。
 そもそも莫大な開発費用を無視して、原材料費だけで評価をすること自体が無意味でしょ。それに、市況からすれば「砂上の楼閣」に近い値動きをするのが、半導体のこれまでの通例なの。
 たとえ機能的な衰えはなくとも、エレクトロニクス業界が進化する限り、老半導体は消え去るのみ……ということかしら。
 うふふ。じゃぁ、がんばってねッ!
 ***** o(^-^)o スマイル・アユミン *****

 うふふ……だって! 成康は、突然の初メールにウットリしながらも、納得した表情で説明を読み終えた。それから、上目使いにシリコンのほうをジィ〜ッと見つめた。
 すると、先ほどまで意気揚々としていたシリコンが、バツが悪そうな顔をしながら、そそくさと地中にもぐって消えてしまった。舞い上がった砂塵のあとには、何事もなかったかのように静寂だけが残っていた。
 何だか、半導体の一生を短時間で垣間見たような気分だった。同情にも似た複雑な感情を抱きながら、成康はシリコンが消滅した砂地を大きくピョンと飛び越した。踏み進まなかったのは、シリコンに対する精一杯の敬意の表現だった。


COFFEE BREAK:シリコンとシリコーン

 コンピュータにとって、シリコン(Silicon:珪素)は欠かすことのできない原材料だが、一般的に「シリコン」で思い浮かべるイメージといえば、半導体より美容整形や大相の新弟子検査で身長不足を補うために頭皮に注入した例だろう。
 実は、後者のほうのシリコンは珪素を含んだ樹脂のことであり、正確にはシリコンではなくシリコーン(Silicone:珪素樹脂)という。
 主原料は、珪素と塩化メチルと水。元をたどれば、珪石と天然ガスと水から造られた有機化合物だ。したがって、名前は似ていても半導体に使われる単結晶シリコンとは明確に区別をされている。
 このシリコーン、無害な上に耐熱性、耐寒性、撥水性、絶縁性、電気特性……など、とてつもなく優れた特徴があるばかりか、オイル状、ゴム状、樹脂状、微粒子状というように形態不定の利便性を備えている。そのため、医療品、化粧品、自動車用品、玩具、家電品、宇宙産業……と、数え切れないほどさまざまな分野で使われているという。
 現在、エレクトロニクス関連素材としても脚光を浴びるなど、未知の可能性を秘めた素材として大いに注目されている。もしかすると、シリコーンのほうが本家シリコンよりもスゴい存在なのかもしれない。