◆運命の岐路

唐突だけど、新日本プロレスの野上彰のファイトを見たことがあるだろうか? まだ若いこの選手は、見ているこちらがハラハラするくらい無鉄砲な男だ。よけられたら鉄柵に激突することがわかっているのに、5メートルものダイブを敢行してしまう。マ界へ行くのをウジウジとためらっているゲ界のエセ勇者たちに見せてやりたいくらいだ。

……という書き出しでスタートしたのは、1990年1月号の『ポプコム』誌上。しかし、これがいかに色あせた内容か、野上彰本人が色あせた存在になってしまったこともあるが、この程度のことは女子プロレスでも日常茶飯事に見られるのだ。イヤ、もっと華麗で激しいワザが……と書き始めるとキリがないので、ここはこれまで。とりあえず、そういう無鉄砲さを評価したというわけ。すると……。

なに、ボクちゃんだって死を恐れず強敵と戦っているゾ……だって!? そりゃ、すぐに生き返れるゲ界の話でしょ。マ界は、実在のあなたが主人公になる世界。経験値もレベルも正真正銘の本物だ。死ぬことはないけれど、恐怖の挫折が待っている。それを恐れていては、マ界の勇者にはなれない。あの男なぞ、ゆうに100回は挫折している。でも、一晩眠ればHPは満タンに回復だ。なぜって……それがRPGのいいところサ。

いっぽう、こちらは社長室に呼ばれた佐々木武蔵。頭の中はホメられることしか考えていない。ところが……。
「佐々木クン、キミが秋葉原に新しいルートを開拓したことは認める。しかし、実際に売れた数字から判断すると、やはり商品と売り場に違和感があるようだナ。この際、新しい商品を開発したほうがいいと思うのだが……」

なぬ、ほめてくれるんじゃなかったのか!? だが、秋葉原を営業して回っていた武蔵は、その当時(1982年ころ)ショップに"ある変化"が起こっていることを見逃さなかった。ビルの最上階、あるいは片隅にあったパソコン売り場が、日を追うようにメインフロアに移動していたのだ。
「そうか、それは面白い話だ。わが社でもパソコン用のゲームソフトを開発しよう。もちろん、開発するのは言い出したキミだ。ただし、営業活動もこれまでどおりにやってもらうからな」

ギョッ、ギョエ〜ッ……!? パソコンなど触ったこともない人間に、ゲームソフトの開発をさせるだって!? しかも、営業も従来どおりにやりながら……。いったい、冗談なのか本気なのか、とにかく社長の命令じゃ逆らうわけにはいかない。

武蔵はそのとき、以前テレビで偶然に見た、あるソフトハウスのコンテストのドキュメンタリー番組を思い出した。確か、ほとんどが高校生か大学生で、最年少応募者は小学4年生だった。いくら勉強をしていないとはいえ、小学生にできることくらいはできるだろう。武蔵にとって、それだけが支えであった。

こうして、武蔵の事務机の上には初代のPC-8801がフルセットで並んだ。1983年2月、佐々木武蔵33歳のときであった。しかし、会社というのは非情なもの。「難しいからできない」という理論は通らない。できなけりゃ評価が下がるだけのこと。武蔵は自腹を切ってPC-8801のフルセットを自宅にも揃えた。

その当時、本体=228,000円、ディスクユニット=168,000円、漢字ROM=38,000円。それにディスプレイ(CRT)とプリンタ、データレコーダ……。いつかは新車を……と思って貯めていた貯金が消えた。思えば、5インチディスク(2D)が1枚千円以上もする信じられない時代だったのである。

とにかく、佐々木武蔵は無謀にも本気だった。パソコンゲームどころか、ゲームセンターにも行ったことがないというのに……。そんな男が、10ヶ月後にオールマシン語のゲームを完成させてしまうのだから、未来とは実に予知できないものである。