現役のプログラマーとして昼夜を惜しんで仕事をしていた1990年前後のころ、まだ一部上場企業になる途上にあった某社の某カリスマ社長から、収入面で「運がないねェ…」とズバッと言われたことがあった。半分はプログラミング能力に比して…というお世辞だったかもしれないが、本音は自らが発した「何をやってもうまく行った」という過去と比較した上での勝者の声でもあった。
ほぼ同じ時代背景の中で生きてきた方だが、仕事上は立場の違いが明白だったし、平凡な金運であるという自覚もそれなりにある。おそらくは世間一般…特にマスコミなどの目線では、某カリスマ社長の経歴のほうが圧倒的に人生の勝者と認定されるに違いない。
…という一般的な価値観を前提に置いた上で、思い出されるのは小学生のころ読んだ集英社「おもしろ漫画文庫」の中の『青い鳥』だった。まだマンガが正当な評価を受けていない時代なので、選んだのは子供ではなく親。少しでも教育的要素があるもの…という思いが感じられる。
数少ないマンガ本なので、子供のころは何度も何度も繰り返し読んでいた。当然、表紙カバーは破れてなくなり、本体もボロボロとなった。
さらには、引っ越しに伴って本書自体が行方不明になってしまった。そして、いつしか記憶からも消滅していったのだが…。
書籍自体がなくなっても、私の人生観から「青い鳥を探し求める旅」のテーマが消えたわけではない。いつもどこかへ向かって、何かを追いかけて歩み続けているのだ。
そんな経緯のある『青い鳥』を、最近になって再読してみたいという気持ちが強くなった。こうなると、行動に移すのは性格的に一直線。ネット経由でタイトルのまま「青い鳥」を探す旅に出ることとなった。
そして、とある古書店で意外なほど状態の良好なものを発見した。しかも、いわゆるマンガとしての人気作品ではないので、価格的にも普通に手が届く範囲だったのだ。これって、もしかしてすでに幸運なのではないだろうか?
すぐに入手して、書籍に透明フィルムでカバーをかける。大切に扱っていると、それだけで懐かしい時代が蘇ってくるようだった。
実をいうと、この中には特に読み返したいエピソードがあるのだ。そして、それこそが私の人生の価値観の本丸なのである。
それは、チルチルとミチルがこの世に生まれる前の子供たちのところに行く場面にある。いかにも明るい未来を感じさせるシーンなのだが…。
幸せそうな子供たちの中で、一人だけ「生まれるとすぐさようならすることになっているの」と悲しい表情の赤ちゃんがいるのだ。これがどれほど衝撃的なことなのか、健康であることは当たり前ではないと初めて知らされた瞬間であった。
病気になりたくてなる人はいない。そこに運命的なものがあるとすれば、そうでないことこそ最高の幸運の賜物といえる。すなわち、それが幸せの青い鳥の基本形であり、あらゆる金品などは枝葉末節のお飾りに過ぎないのだ…と、この不思議な旅を通じて教えられたような気がする。
こうして、この『青い鳥』から学んだ価値観が人生観となり、生涯のトレーニングへとつながっていくわけだが、当然のことながらそれだけで元気で健康でいられるものではない。そんなことに、今ごろになって遅まきながら気づいたのである。
というのは、この『青い鳥』では光の精が運命の病気から解放してくれたけど、実際には両親から授かったものがそのままベースになるだけ。しかも、その奥には人類誕生から脈々と続く遺伝子の流れがあるのだ。そこに青い鳥の基本形(←健康であること)が備わっていたとしたら、これはもう幸運以外の何物でもないだろう。
ということで、現在の自身の体内年齢≪タニタ製体重計によれば36〜38才≫に間違いがないことを前提にすれば、とんでもない幸運の持ち主ということになる。かつては、いろいろな軋轢や不満に思う面が多かった両親だが、こんな青い鳥をプレゼントされていたら感謝以外にはない。もちろん、歴代のご先祖様へも同様な思いで、ひたすら実家復興に向けて全力投球をしているのである。