●勝ち抜き腕相撲・界隈

 大昔…といっても60数年前のことだが、中学校での同級生に「才女」と独断で決めつけていた女性がいた。単に「ボーッとしていた少年」にそう見えただけなのかもしれないが、風の便りによれば著名な女子大を卒業後は普通に主婦の座に収まったという。

 よく「十で神童、十五で才子、二十歳過ぎればただの人」というけど、地域や周囲で突出しているように思えても、その程度の才人は全国各地にいるわけだからネ。それぞれが集結すれば、それが平凡で当たり前の世界になってしまう…と理解はしつつも、やはり凡人からすれば「将来どのようになるのだろう?」という興味は尽きない。

 大学入学当時、商学部のあった旧11号館は、正面のホールからクランクする形状で東側の玄関へつながる通路があった。ある日のこと、その東側玄関から「ガハハ…」という聞き覚えのある大きな笑い声が聞こえた。その声の主が誰であるかは、正体を見ずともすぐにわかった。

 自動車部員は、上級生に出会ったらいつどこでも大声で「コンニチハッ!」と挨拶をしなければならない。そう身構えて角を曲がると…いない。次の角を曲がっても…いない。不思議に思いながら通路を抜けると、ホールの片隅で豪快に「ガハハ…!」と談笑している姿が目に入った。

 それは紛れもなく先輩部員の大賀さんだった。誕生年は同じ1949年だが、早生まれの一浪組なので学年は1つ上になる。女性を感じさせない豪放な性格(←失礼)から、これまた独断と偏見で「女傑とはこういう人のこと」と勝手に決めつけていた。

 とはいえ、使い終えた教科書を譲ってくれたり、同じ学部の後輩として親切にしてもらった記憶も多い。基本的には心の優しい女性だったのだ。

 その一方で、常人とは桁違いの行動力があり、女性4人でアジア・ハイウェイを走破したり、中米大陸をバイクで縦断する冒険家でもあった。いったい、このパワフルなエネルギーはどこから生まれるのだろう?

 さらには、学生でありながら冒険の顛末を書籍として出版してしまう…となれば、平凡な学生生活に明け暮れていた身からすれば、将来の人物像を見てみたいと思うのは当然の成り行きであろう。

 大学卒業後は旅行社に就職した…という曖昧な記憶があるだけで、詳しいことは知らない。ところが、どこでどういう出会いがあったのが、なんとあの『勝ち抜き腕相撲』で南波さんを破った吉見さんと結婚をしたというからビックリ!

 こうなると、さらに筋肉ムキムキだった「吉見さんのその後はどうなっているのか?」という新たな疑問も生じてくる。とりあえず、自動車部を通じての情報では結婚後に渡米し、紆余曲折を経てカイロプラクティック院を開業したとのことだったが…。

 果たせるかな、2012年の暮れに二度目はないという約束で開催された自動車部四世代の会(1969年時の1年生から4年生の集まり)に、女傑から吉見夫人となった大賀さんの姿があった。

 真っ先に聞いたのは、本人のことではなくムキムキ吉見さんの「あの筋肉はどうなったか?」という平凡な疑問だった。正直、和服姿のご本人には過去を知る未来像としてはあまり興味を感じなかったのだ。

 …で、かの腕相撲の番組では、太鼓を叩いて応援をしていたという裏話もあったが、渡米後にボディビルをやめてからは、筋肉は脂肪となりブヨブヨ腕に変化してしまったという。ウ〜ム…。

 何事も「達成するのは大変だが、それをキープするのはもっと大変」というけど、キープするばかりでは新しい道は拓けない。さじ加減次第では「二兎を追う者は一兎をも得ず」になってしまうからだ。ましてや、あれだけの身体は全力投球でなければ保てない…と素人ながらに納得をした。

 そんな思い出深い会話があったのも、すでに13年も前のこと。今でもロサンゼルスで日本文化を広めようと元気に頑張っているのだろうと思いながら、何気なくネットで情報を探ってみた。そして発見したのが、こんな記事だった。

 知らなかったねェ…。あえて内容にコメントをするのは控えたいけど、ほのかに女傑の香りを感じられるところが吉見さん…というより大賀さんらしい。そして、まだまだ頑張ってほしいと願わずにはいられない。

 無意識ではあったけれど、ヨーロッパを一人で放浪したり、著書を出すという動機の一端には、どこかで大賀さんの影響を受けていたのかもしれない。小学5年生から始めたトレーニングもそうだけど、人生というのはいろいろな綾や伏線が複雑かつ微妙に絡み合いながら、結果として個々の本流として確立されている…なァ〜んて、柄にもなくしみじみと思うのであった。