あれはちょうど結婚をした1975年のころ。東京12チャンネル(現在のテレビ東京)で、夜11時からの5分間枠に≪メジャーではない人気番組≫があった。タイトルを『勝ち抜き腕相撲』という理屈抜きで単純明快な内容だ。
放送は1日に2試合。といっても、撮り溜めの録画番組なので選手はかなりハードな連戦をこなさなければならない。そんな過酷な条件下で、驚異的な連勝を続けたのが山形でトレーニングジムを経営しているという南波勝夫さんだった。その数…なんと72連勝!
10人抜けばグァム旅行、20人でハワイ、30人でヨーロッパ、50人でペアでヨーロッパ、以下10人抜くごとに同行者が1人増えるという豪華景品が用意されていた。とはいえ、それは建前上のお飾りであることは明白で、本音の部分ではそんな超人は想定されていなかったに違いない(←と思う)。少なくとも、南波さんが現れるまでは…ネ。

どうだろう、このプロレスラーにも見劣りしないビューティフルな身体。理想の体型を「全盛期のミル・マスカラス」とする私にとって、プロレスラーではない南波さんが身近で現実的な憧れとなるのに時間はかからなかった。
当然、筋トレも以前に増して熱が入る…けど、腕立ての回数を少しばかり増やしたところで、どうにかなるものでもない。ということで、興味の矛先は「この快進撃はどこまで続くのだろう?」という野次馬根性に成り下がる…。
そんなところへ、満を持して登場したのが慶応大学のボディビル部で、74年度学生チャンピオンの肩書きを持つ吉見正美さんだった。パンパンに張った上腕の太さ。それまでの対戦相手とは見るからに異なる雄姿に、テレビの前でワクワクしながら見入ってしまうのであった。とにかく、闘う前の雰囲気からして二人ともカッコイイッ!
試合のほうは、挑戦者の吉見さんが勝利して南波さんの73連勝を阻んだのだが、そんな吉見さんでさえ9連勝しかできなかった。いかに南波さんの連勝が非現実的であったか、50年の歳月が流れた今でも私の脳裏に深く刻まれている。あれこそ一般人が求める理想の身体といえよう。

ちなみに、トレーニングジムという存在を知ったのはこの時が最初。もちろん、実際の施設がどういうものなのか、ネットのない時代には勝手に空想するしかない。ダンベルや体操器具の配置はどうするか、建物の周囲は走れるよう屋根付きのトラックにしたい…などと、仕事中にレイアウトを考えて妄想していたのもこのころだ。
あれから50年。昨年、紆余曲折の末に完成させたミニ体育館の原点は、このときの南波さんの活躍にあった…と今ごろになって改めて気づかされたのである。知らず知らずのうちに、いろいろなものが脳内にインスパイアされて人生を動かしているんだ…ネ。
≪ 掲載画像は『月刊ボディビルディング 1975年9月号』より引用 ≫