一般的に「春は○○○○」といえば、思い出すのは「あけぼの」だよネ。詳細は知らなくても、それとなく『枕草子』の書き出しであることはよく知られている。
でも、現在の私にとっては「春はタケノコ」でしかない。正確には「春はタケノコ地獄」と称するほうが正しいだろう。何しろ、この季節には毎年200〜600本(←不作年/豊作年の差が激しい)のタケノコを掘らなければならない運命にあるのだ。
子供のころから、実家に小規模の竹林があるのは知っていた。ただ、それは自然にタケノコが食べられるという都合のよい考えで、そこにどれほどの労力が必要かということまでは、これぽっちも想像したことがなかった。ましてや、自分が管理することになるとは、そしてそれが大変なことであるとは、不覚にも夢想だにしなかった。
まずは3月中には雑草などを取り除いてきれいにする。こうしておかないと、タケノコ本体が地上に出るまで気がつかないからだ。テレビなどの情報によれば、タケノコは日光に当たることで「えぐ味」が増すらしい。だから、できるだけ姿が見えないうちに掘るほうがよいのだ。
ということで、数年の経験からおいしいタケノコ探しのコツにたどり着く。とりあえず、地上に出た先端を目視で探すのは当然だが、歩き回って靴底に違和感を感じたり、地面がひび割れているところがポイントとなる。ただし、その場所を記憶して…というのはほぼ不可能で、竹の間を数歩歩くともうわからなくなってしまう。
そこで、特許大発明(←ウソ)したのが目印にする白い輪っか。これを発見した場所に次々と置いていくのだ。多い日にはその数が50本近くになるけど、もちろん掘るのは一本ずつ。なかなか減らない輪っかを見ていると、まるで地獄の責め苦に思えてくる…というワケ。
だったら無理せず「ポキッと折って捨ててしまえばよい」のだが、戦後の貧しい時代に生まれた世代にはそれができない。すべて丁寧に掘って、洗って…食べきれないから差し上げる人を探す。こうして4月は、いつもいつもタケノコに追われて過ぎて行くのである。
全部が全部こんな大物だったら「とてもやってられない!」となるけど、10cmほどの小物もあれば
途中で失敗して折れてしまうこともある。見えない土中には縦横無尽に根があり、生育を邪魔する石もある。いかにタケノコといえども、必ずしも真っ直ぐ伸びているわけではないのだ。
そんなこんなで、小さいのに当たると楽だからうれしい。でも、やっぱり地下深くから掘り出した大物のほうが「おいしい!」んだよネ。考えることは、いつもこんなことばかり。そして、早く出るのが終わらないかとボヤきながら、ひたすら5月初旬まで掘り続けているのである。
ちなみに、シーズンを過ぎれば何もしなくて構わないかとういと、老竹を処分して若く元気な竹と入れ替えなければならない。食べることだけを考えれば有難いのだが、どんなことでも裏方の苦労があってのこと…と痛感させられる。
もっとも、別の裏方として大量のタケノコを一気に渡された料理担当の苦労もある。かくして、タケノコ三昧どころか、ご飯に煮物に炒め物に味噌汁に、さらには天ぷらやキンピラにと、手を変え品を変えて四昧も五昧にもなったタケノコ料理が、毎日のように食卓に並ぶ…。食費は節約できてうれしいけど、さすがに本音の気持ちは…ヒェ〜ッ!