●超……うれしかったこと

 マイナー……というよりも、あまりにも個人的な話題なのだが、かの『燃える闘魂マシン語伝説W』の巻末に「メッセージ」というタイトルの落書きがあった。
 おそらく誰も覚えていないだろうし、また単なる筆者のプライベートな願望が、読むに値するものでないことくらいは重々承知していた。それでも書いたのは、それが筆者の長年の夢であり、あらゆる手段を使ってその思いを伝えたかったから……だ。


メッセージ
 オーイ、宮の原中学校の第一回卒業生のみんな〜ッ! たまには同窓会(クラス会もいいネ)をしようゼ。というわけで、フローリスト「はなかめ」の亀井クン、このあたりで重い腰を上げてヨ!
 この『燃える闘魂マシン語伝説W』の発行は1993年9月30日。筆者44才のときである。しかし、パソコン書籍というマイナーな分野の、さらにマイナーなマシン語プログラムの本。おまけに、Pマガ連載から2年を経た上での単行本化とあっては、その声がクラスメイトに届くわけもない。
 そんなこんなで、それから12年。このままでは一生見果てぬ夢のままで終わってしまう……と思い始めたとき、はたと気がついた。他人任せにせずに、自分が手を上げればいいんだ……と。
 たとえ中学時代にリーダーでなく、内気で恥ずかしがりやで目立たない存在(←自称)であったとしても、誰しも「みんなに会いたい!」という感情はあるはずだ。いくら何でも上げた手を無視されることはないだろう。それよりも、問題は一人として消息がわからないということだった。
 だが、突破口の秘策は考えてあったのだ。それは、前の席に座っていた女の子の妹が、私の妹と偶然にも同じクラスで、しかも仲がよかったということ!
 こうして妹経由の細い糸をキッカケにして、消息不明の糸を次々と手繰り寄せてから、メッセージにもあるリーダーの亀井クンのところへと到達したのであった。さすがにリーダーの手腕とクラス内での知名度は群を抜いており、行き詰った捜索も一気に進展した。
 そしてついに……2005年4月30日。中学校卒業後40年ぶりのクラス会が開催されたのだ。浦島太郎とまではいかないが、これがどれほど楽しく嬉しいものであったか、とても言葉や文章で表現できるものではない。結局、みんなクラスメイトに会いたかったんだヨね!
 そんなわけで、私の長年の夢がかなって「超……うれしかった」のだが、他のみんなも「超……うれしかった」ということを知って、夢がかなったこと以上に「超……うれしかった」のである。
 だって、最初に行動を起こしたときは、それが全然わからなかったから。一人で過去に恋々としているのでは……という不安が、少なからず第一歩を踏み出す際にはあったのだ。
 そんなとき、思い浮かべるのは……やはりこれ!

 これが、なぜ座右の銘のように登場してくるのかといえば、この名言に出会う前からそういう人生を歩んでいたからだ。おっと、話題が別の方向に向かってしまいそう。とにもかくにも、この2005年4月30日は「超……うれしかった」というお話でした。