■[その1]にあった「ゲームを作る楽しさ」の再掲載を希望!

恥ずかしながら、新日本プログラミング情報[その1]はホームページとしては試作品にも満たない未熟品であった。いちおう世間に姿を見せたものの、あくまでも未知の分野への第一歩を踏み出す決意を客観的に確認しただけ。しかし、そこにはこんな勇壮な一文があったのである。徒手空拳!

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ゲームは、ソフトハウスが大金と多くのスタッフを投入して作り上げるもの……と思っているあなた。それはそれで事実の一端ではあるけれど、決してそれがすべてというわけではない。一般ユーザーにだって、パソコン1台さえあればゲームを作ることはできるのだ。そして、そこに本当のゲーム制作の醍醐味がある!

そもそも産業化されたゲーム制作に関わっても、大きな機械の歯車の1つになるだけで、それぞれが抱く夢やロマンは実現できない。所帯が大きくなれば、すべてに渡って制約や妥協が要求されるからだ。もちろん、三人寄れば文殊の知恵というプラス面もあるが、思いっきり自由気ままに大空を飛び回るためには、ソフトハウスという母体が逆に邪魔になる。だいたい、ゲームを創作する上において、社長とかプロデューサーといった肩書きによる圧力ほど、不愉快で迷惑なものはないのだから……。

本来、ゲームを作るというプロセスは、とても楽しいことなんだ。なぜなら、それは一種の自己表現の場であり、頭の中で描いたイメージを具象化することだからだ。つまり、自分の世界を他人に伝えるってことが楽しいというわけ。他人の世界を他人に伝えたって、本当の意味での創作の楽しさは生まれちゃこない。だからこそ、ソフトハウス以外のところからゲームができてくることに意義があるのだ。