☆ 運と危機のムムムッ! ≪初出『ポプコム』'91.9月号≫

 偶然の産物である“運”によって、人間の命は常に不安定な状況下に置かれる。それは、まるで急流を流れる木の葉のよう。流れに飲まれる木の葉もあれば、激流や渦の障害をスイスイと切り抜けるラッキーな木の葉もある。浮沈は、まさに運次第……。
 高校三年生の日野洋二(ひの・ようじ)が、火事の一歩手前で助かったドライヤー停電事件は、まだ記憶の片隅から消えない。そんな洋二も、今や大学を出たばかりのサラリーマン。保養所などない小さな会社だが、夏には民宿を借り上げ、海の家として社員に開放していた。

 千葉県の御宿海岸には、週末を海の家で過ごす若者が集まっていた。そして夜……。洋二は、布団を敷き詰めた部屋の片隅で、友人とヘボ将棋を指しながら、いつしか深い眠りに就いた。布団の上でゴロゴロしていた他の仲間たちは、退屈しのぎに夜の海へと繰り出して行った。
 それから、どれくらいの時間が経ったのだろう。帰ってきた仲間たちのギャアギャア騒ぐ声で目が覚めた。部屋の中は、紫煙がモウモウと立ちこめ何も見えない。騒然とする仲間たちを尻目に、洋二は睡魔の思うまま再び目を閉じてしまっていた。
 翌朝、直径50p以上の大きなコゲ跡が残された布団を見て、洋二は昨夜の騒動を知った。どうやら、夜の海へ出かける際に、誰かが蚊取り線香の上に布団をかぶせてしまったらしいのだ。火事、一酸化炭素中毒……悲惨な光景が脳裏をよぎる。
 仲間の帰りがあと数分遅れていたら、運命の激流は洋二を火の海に飲み込んでいたかもしれない。そんな危機を乗り越えながら、今日も多くの木の葉が急流を流れて行く……。


≪時は流れて……2006年9月≫
 人間、生きているということは、それだけでスゴイことだと改めて思う。ただ、普通に生きているわれわれには「生きている自覚」に乏しいから、そのスゴさに滅多に気がつかない。
 これは「不幸にならないと平凡な日常の幸福がわからない」のと同じで、人間の欲深さにも関係しているのかもしれない。幸福とは、決して不幸の対極にあるものではなく、不幸でないことが幸福ということを、子供のころメーテルリンク作「青い鳥」で学んだのに……。
 もっとも、欲がゼロなら向上心も生きる意欲も不要になってしまう。本物の青い鳥は、毎日エサを与えることで幸福の存在を教えてくれるが、架空の青い鳥にはそんな目印はない。その代わりに、どんなことでも青い鳥にすることができる。
 ちなみに、私の青い鳥は走ること……かも。走って疲れることで、平凡な日常の中に幸福を実感しているのだ。と書きつつ、もうちょっと速くなりたいという欲も隠すことができないけど、ネッ!