☆ 停電のムムムッ! ≪初出『ポプコム』'91.7月号≫

 最近では、予告なしに停電をすることは滅多にないが、昔は落雷などでよく停電したものである。しかも、復旧までに数時間を要することも少なくなく、どこの家でも停電用のローソクを用意しておくのが普通だった。
 日野洋二(ひの・ようじ)は高校三年生。ある夜、いつものとおりに勉強をしていた。向かい側の机の前では、弟の史松(しまつ)が風呂上りの髪をドライヤーで乾かしていた。
 ……と、突然の停電。しばらくはジッとしていたが、いつまで待っても回復しない。仕方ない、寝ることにしよう。兄の洋二は二段ベッドの上に、弟の史松は下段に、暗闇の中を手探りでもぐった。朝になれば、停電も直っているだろう……。
 心地よい眠りの中、突然「火事だッ!」の声と共に、弟の史松が飛び起きた。史松のイスから、天井付近まで火柱が上がっている!
 その声がなければ、洋二は猛煙と灼熱の中、苦しむこともなく昇天していたに違いない。だが、目が覚めたとたん、強烈な熱波が全身に襲いかかっているのを感じた。必死の思いでベッドから飛び降り、別の部屋で寝ている家族を起こしに行った。父親が即座に消火器を手に持って走った。
 シューッ! さすがに消火器の威力はスゴい。あれほどの火柱が、瞬時に闇の中に消えた。あと数秒遅かったら、火は完全に天井に回り、手がつけられなかっただろう。
 そのころ、自己の責任を感じていたのか、自力で消化しようとした史松は、風呂場の水道の前で洗面器に水をためていた。そんなのんきで朝寝坊の史松が、なぜにあのときに限って目を覚ますことができたのか、運命の糸のナゾは永遠にうかがい知ることはできない。洋二の髪の毛は、外側が熱で溶けてチリチリになっていた。
 火元となった史松のイスの上には、スイッチが入ったまま真っ黒コゲになったドライヤーがあった。長い停電は、時として命をもてあそぶ危険をもたらす。くれぐれも、火の用心……!


≪時は流れて……2005年6月≫
 偶然の中に運命があるのか、それとも運命の中に偶然が含まれているのか、いずれにしても生きていることは運命の糸が切れていない証(あかし)である。
 かつてヨーロッパを放浪していたとき(1973年)、初めての海外渡航であり訪問国数を増やしたいという願望が少なからずあった。ましてや、めったに行けない国ならチャンスさえあれば……と思うのは当然のこと。そんなとき、旅行中のウワサ話に「北朝鮮でいいアルバイトがあるらしい」というものがあったのだ。
 幸いにして、そうした稀有な偶然には縁遠い運命のようだが、改めて「何事もなく平凡に日々の生活を送れる運命」こそ最大の幸運と思うのである。