☆ 勤労のムムムッ! ≪初出『ポプコム』'91.3月号≫

 男が「やるゾッ!」と誓ったからには、死んでも目的を達成しなけりゃ……と言うのは簡単だけど、いざとなると世間体やら周囲の圧力とやらに屈して、平凡な道を選んでしまうというのは、現実にはよくあることだ。
 高賀一年(たかが・かずとし)は、某私立大学の3年生。所属している体育局自動車部は2年後に創部40周年を迎えることになっていた。
「1年留年して、オレたちで40周年記念の海外遠征をやろう!」
 資金集めに情報収集、さらにはスポンサー探し。すべては3年生全員の結束のもとに開始された。そして、揃って4年生となった……のだが。
 高賀一年を除いて、留年するはずだった仲間たちは、みな就職先を求めて会社訪問を始めた。アレッ、オレたちの約束は? 純粋だったハートも、卒業を控えて世間の荒波に流されてしまったのか……?
「ヨーシ、オレが一人で海外を放浪してやる!」
 卒業を目前に、高賀一年は某教授宛に「どうか不可をつけてください!」という手紙を出した。こうして無事に留年した高賀一年は、半年間の放浪に旅立ったのであった。
 帰国後、今度は「どうか不可をつけないでください」という内容の手紙を、別の教授に書いた。詳しい事情を問い詰めようともせず、黙ってこれに応えてくれた両教授の、なんとサムライだったことよ。
 高賀一年は、この顔も知らぬ教授から大学で学んだ全学問以上の有益な授業を受けた気がした。それは、マンモス教室の中では決して学べない、心理学を超えた人間愛だった。どんなに高度な学問も、人生を傷つけるほどの価値はない。いわんや、学問のための校則をや……。


≪時は流れて……2004年6月≫
 たった半年間の海外放浪であったが、これは高賀一年のその後の人生に多大なる影響を与えた。おそらく、このときの体験がなければ、高度成長時代の企業戦士として、どこかの会社に一生を捧げていたであろう。
 もちろん、それはそれで有意義な人生なのだが、心の自由という名誉や肩書きを超越した価値観を知ってしまった以上、それは無理なことなのであった。
 もっとも、平然と留年をして海外放浪に出かけてしまうこと自体、すでに心の自由に目覚めていたともいえる。そういう意味では、海外放浪は「心の自由を自覚した旅」だったのかもしれない。