☆ ヘボ将棋のムムムッ! ≪初出『ポプコム』'91.2月号≫

 大学……。入ってしまえば何でもないが、入試という不透明な関門は、受験生にとっては未知の壁である。
 どんなに勉強しようとも、どんなに実力がつこうとも、『合格』の二文字は未来が現実となる瞬間まで確認することができない。
 浪人生、一浪一郎(ひとなみ・いちろう)は、そんな不確実の状況下にありながら、時が合格を運んでくれると信じている根っからの楽天家であった。決してあせらず、かといってサボらず、飄々と浪人生活を満喫していた。
 7月。次の入試にはまだ遠い夏の初め。一郎は、同じ浪人生のEと将棋を指した。実力接近のヘボ将棋は、やればやるほど面白い。ついには、名人百番勝負をやろうということに相成った。
 最初のころ勝ち越していた一郎であったが、ある日を境にして、どうやっても勝てなくなってしまった。34勝41敗。どうやら、相手のEがコッソリと入門書を買ったらしい。
 その事実に気づいた一郎は、負けてはならじと、あわてて大山永世名人の必勝本を購入した。といっても、初心者向けの定石が示された入門書にすぎなかったのだが……。
 そこは下手と下手とのヘボ将棋。その一冊が功を奏して、再び勝利が舞い込むようになったのだ。そして、とうとう50勝50敗という稀代の迷勝負に発展。ジュース、アゲイン、またアゲインと続き、やっとの思いで一郎が最後の2連勝を確定する必勝形となった。
 ところが、一郎が読み切ろうとする寸前に、観戦中のSが「こうやって、ああやって一郎の勝ち」と口をすべらせたから大変。その手は「ズルい!」ということになり、一郎は意地でも他の手を指さなければならなくなってしまったのだ。
 結局、その一手が負けを呼び、一郎の連敗という形で長い長い戦いは終わった。二人の見解は引き分けということで一致し、連日の対局に終止符を打った。
 どんなに面白くても、ケリがつけばスッキリする。大きな目標に向かうときは、こんな心の整理が大切なのだ。無理をせず、雑念を1つひとつはらえば、すべての精神は一点に集中する。翌年、一郎が念願の大学に合格したことは言うまでもない。


≪時は流れて……2004年4月≫
 この大勝負を機に、将棋の面白さに一時的にハマった一郎であったが、今ではほとんど指すことはない。手ごろな対戦相手が身近にいないこともあるが、コンピュータ将棋にも興味を示さなくなったところを見ると、飽きてしまったようにも思える。
 もっとも、現代は遊びや楽しみが有り余るほど豊富な時代。とりあえず、思い切り遊んだ将棋からは手を引いたというのが真相のようだ。何しろ、職業であるはずのコンピュータゲームでさえ、ほとんど時間を費やすことがなくなってしまったのだから……。