☆ 通勤時間のムムムッ! ≪初出『ポプコム』'91.1月号≫

 都会に住むサラリーマンにとって、自分の家を持つことは、もはや不可能に近いともいわれている。新聞の折り込みチラシにさえ、1億円を超す家が堂々と売りに出される時代。これで豪邸なら許せる気もするが、狭い土地にチッポケな家……。
 かくして、サラリーマンの家は都心から遠くへ遠くへと離れていく。通勤に1時間はザラで、3時間かけて通う人もいるという。スシ詰めの通勤列車は、なんと奴隷運搬船よりも過酷で、人間以外の動物では耐えられないそうだ。
 そんなサラリーマンの一人、遠井家也(とおい・いえや)は、ある日揺れる通勤電車の中で、ブツブツとつぶやきながらつまらぬ計算を始めた。
≪…………オレの通勤時間は、往復でちょうど3時間だ。会社は完全週休2日制で、休みは多いほうだろう。年間120日は休日だから、残る245日が勤務日数というわけだ。
 とすると、1年間の通勤時間は実質735時間か。1日のうち10時間は寝たり食べたりの生命維持用時間だから、1日の有効時間は……マァ14時間ってとこだな。
 ということは、1年間のうちの52.5日は電車の中に住んでいることになる。大学を出てから65歳の定年まで44年間。つまり、トータルで2310日の電車暮らし……だ。
 ナヌ! オレの人生の6年以上は、ただ満員電車に乗るためにあったのか。今日も明日も明後日も、身動きすらも許されない窮屈な車内。ゴトン、ゴトン…………≫
 そんな通勤地獄が十数年。遠井家也は、思い切って自営業の道を選んだ。そして……。通勤時間と称しては、その分をグースカ寝ているという。
 もう、それをどうのこうのと難解な(?)計算はしない。どうやら、どちらにしてもその程度は不毛の時間であることに気がついたようだ。というより、寝ることに対しては不満を感じなかっただけなのかもしれない。


≪時は流れて……2004年2月≫
 バブルといわれた時代が過去のものとなった現在、さすがに1億円を超すような家はサラリーマンには縁遠い豪邸となった。しかも、通勤時間に困らないような都心型マンションも増えている。
 そういった背景から、郊外の豪邸街となるはずだったチバリーヒルズのように、思惑どおりの展開ができなかった住宅街は少なくない。ただ、バブルに踊らされることのなかった遠井家也は、その後も思惑どおり(?)の睡眠をむさぼっているという。