☆ 時の流れに消えたムムムッ! ≪初出『ポプコム』'90.10月号≫

 31年前……。初夏のブライトンは、町じゅうが絵本のように花で覆われ、潮風が暑さを和らげる美しい港町だった。
 落ち葉の舞うスプリングフィールド・ロードに住む典型的な英国人夫婦、ビルとジュリーには、サリーという可愛い赤ちゃんがいた。幸せに満ちた家庭は、まるで英語の教科書そのものといった雰囲気が漂っていた。
 そんな理想的な生活環境が、真田雄三(さなだ・ゆうぞう)の2ヶ月間のホームステイ先であった。
 それから17年……。手紙は常に一方通行であったが、彼の脳裏からブライトンの想い出が消えることはなかった。そして、ついに彼は念願のブライトンを再訪したのだった。懐かしい町並み、そして家族は……。
 晩秋のブライトンは、花の咲く季節こそ過ぎてしまったが、スプリングフィールド・ロードの石畳や家並みは、まるで17年前にタイムスリップしたかのごとく、そのままの姿でたたずんでいた。
 階段のある家のドアには、昔と変わらぬライオンの顔をしたノッカーが、大きく口を開けて来客を待っていた。コンコン!
 だが……。意に反して、住人はまったくの別人であった。当時から隣りに住む老夫婦の話によれば、あれから2年後、彼らの結婚生活は崩壊したそうだ。ウソだ。信じたくない。あんなに幸せそうだったのに、なぜなぜなぜ???
 17年間抱き続けてきた真田雄三の夢は破れた。取り戻すことのできない深い悲しみが、怒涛のように一気に込み上げてくる。
 未来への夢は追えるが、過去の夢は遠くへ逃げ去るばかり。二度と同じ夢はやっては来ない。その瞬間瞬間が現実であり、実現した唯一の夢なのだ。
 時は、止まることを知らないかのように、こうして流れ続けて行く。夢を未来から過去へ追いやりながら……。


≪時は流れて……2003年10月≫
 夏目雅子が永遠に若く美人であるように、現在を伴わない過去の想い出は、夢の中でも決して変化をすることがない。サリーという可愛い赤ちゃんは、今でも真田雄三の中では成長をしていないのだ。
 それゆえに、ブライトンの町では真田雄三も23歳のままなのである。この不思議な時空を超えた世界。もしかすると、これは青春のタイムマシンなのかもしれない……?