☆ 石頭のムムムッ! ≪初出『ポプコム』'90.4月号≫

 何かの拍子に、親と子の頭がゴツンとぶつかることがある。そんなとき「おまえは石頭だねェ」なんて言って痛がるのは、たいていは親のほうだ。
 実はこれ、子供が泣くと面倒なので、親が痛み止めの暗示をかけているに過ぎない。ところが、子供はそれによって妙に自信をつけてしまうことがある。場合によっては、大人になっても自信を持ち続けるからコワイ。

 ある男が、まさにそのとおりのタイプであった。ある夜、彼は下宿先で隣の部屋に住む写真専門学校に通う男とバカ話をしていた。
 ところが、ひょんなことから「オレは頭が堅い!」と、互いに自慢し合い始めたのだ。自信と自信のぶつかり合いは、話し合いではケリがつかない。
 となれば、ズバリ頭突き合戦によって決着をつけるしかないではないか。かくして、夜の静寂を打ち破るように、頭突きの音が下宿にこだまする。ゴツン、ゴツン……。
 5発、6発……。まだ勝負は互角だ。互いの自信が、痛みを消しているようだった。だけど、そろそろ痛いなァ。相手も、心なしか痛そうだ。
 ゴツン、ゴツン。もう何発目だろうか。そのとき、向こうから勝負をかけた強烈な一撃が来た。ゴッツ〜ン!!
 目から火が出るホーホケキョ。ウッ、まいった……といいたいところを、必至になって堪える。ここが我慢のしどころだ。
 ヨ〜シ、こうなりゃ次はこちらの番だ。もちろん、これを耐え忍ばれたら、次に相手の攻撃を受けるだけの余力はない。弓なりに身体を反らし、一撃入魂の原爆頭突きだァ!!
ガッキィ〜ン!!
「イ、イテテテ〜ッ!!」
 写専の男は、両手を額に当ててひっくり返った。すでに、相手の「勝負をかけた一撃」が失敗に終わった時点で決着はついていたのだ。最後の一発は、それを確認したダメ押しに過ぎなかった。
 そして、次の日。写専の男は、頭痛で学校を休んだ。勝てば痛みも消えるが、負けた痛みは倍になって残る。彼の額は紫色に腫れ上がり、布団の中でウンウンとうなっていた。そこには、長年の自信を砕かれたみじめな敗者の姿があるだけだった。
 いっぽう、勝った男はますます自信を深めることに……なるどころか、自信の存在すら忘れようと決心したのであった。
 なぜって、二度とこんな無益な勝負はしたくないと思ったから。だって、本当はスゴ〜ク痛かったんだもン。
 しかし、どんな闘いでも勝負は勝負。やる以上は、勝たなきゃ意味がない。彼は決して我慢だけで勝ったのではなかったのだ。
 親に認められた(?)堅さを、ヒマを見つけては柱にぶつけて鍛えていたのだ。その努力が、結果に反映されただけのこと。暗示から自信へ直行するか、その間にトレーニングというプロセスを経るか、同じ自信でも違いは大きい。
 自信を持つことが大切だが、自信だけでは実力とはならない。どこまで自信の裏付けがあるか、そこに自信と過信の境目がある。

それから十数年、ナゾの石頭男も二児の父。ある日、5歳になった娘と、じゃれた拍子に頭と頭がゴッツン。
「イタタ……。あゆちゃんは、ホントに石頭だねェ」
 思わず口にしてしまった泣き止めの呪文。それ以来、あゆちゃんは頭の硬さにスッカリ自信をつけてしまった。
 2年後、あゆちゃんは自分のことをまだ石頭だと思っている。石頭男の頭から、堅さの自信がやっと消滅した。


≪時は流れて……2003年≫
 石頭と思い込んだあゆちゃんも、すでにレディな大学生。親と違って、そんな愚かな自信を鍛えることもしなければ、いつまでも継続することもなかった。その点においては、親よりも賢い……と思うのである。