■ ご挨拶:第99回(2025年5月22日)■

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 本日のご来場、まことにありがとうございます。かつて…といっても、かなり昔の1956年ころのお話です。リアルタイムでの記憶かどうかは不明ですが、世間では「♪ここらは近ごろ物騒だ…」という歌詞の流行歌(←曽根史郎:若いお巡りさん)がヒットしていました。

 昔もそれなりに物騒な世の中だったのは確かですが、あのころの物騒はせいぜい「財布の有り金を全部寄こせ!」というレベルです。それどころか、帰りの電車賃だけは残しておくという粋な強盗もいたそうです。人間味のかけらもない現代の卑劣な不届き者と比べると、多少なりとも理性があったような気がします。

 そんなことを思い浮かべながら、見知らぬ電話やメールにはいつもピリピリと対応していたにもかかわらず、昨年5月にカードの不正利用に遇ってしまいました。半年後に全額保険でカバーされたものの、正規のリンク先アドレスを示したまま詐欺サイトへ誘導されたような…おぼろげで曖昧な記憶しかないのです。ウ〜ン…どうにもこうにも情けない!

 さらに年末の忙しいときに、たまたま反射的に出てしまった非通知の電話。これが市役所の保険年金課を語る絵に描いたような詐欺電話でした。厚労省から払い過ぎた医療費を返還する通知が届いているはず…という「ありそうな話」から始まり、時間を置いて三井住友銀行の本店営業部まで登場してくる、典型的な劇場型詐欺の世界を体験することになったのでした。

 いくら最初から怪しいと感じても、撃退するためには確実な裏付けが必要です。ということで、相手の猿芝居の合間に、本物の市役所に電話で確認を得ました。もちろん、結論は間違いなく詐欺なのですが、そうとは知らない間抜けな掛け子役。台本通りにニセ銀行員を装って、神妙な声で電話をしてきたのでした…。

「正体はバレてんだヨ…この忙しいときに詐欺電話なんかするナッ!」

 ガチャーン。これでオシマイです。たぶんうまくダマせたと思っていたのでしょう。またしてもの非通知を指摘された上に、意に反して大声で怒鳴られて、返す言葉もなく電話口の向こうで黙り込んでいただけでした。

 こうして敵の台本にはない幕切れで落着しましたが、不快な気分だけはしばらく残りました。本当に油断もスキもならない危ない世の中。ついつい「♪日本は近ごろ物騒だ…」と口ずさみたくなってしまいます。

 あの日以来、登録していない電話、非通知の電話には絶対に出ないようにしています。それが唯一で確実な対策なのです。未登録の方でも、本当に用件のある場合には留守電にメッセージを入れてくれるから大丈夫です。どうにもこうにも面倒な時代になってしまいましたねェ…。

 ということで、少しは明るい話題にしましょう。かつての名機「PC-8801mkUSR」といえば、新日本プログラミングにとって最大の恩人ならぬ恩機であることは、知る人ぞ知るところです。そんな歴史の重なるパソコンが、この夏ごろに電波新聞社からミニPCとして復刻されるというのです!

  ★ 電波新聞社の製品情報 ★

 もしかすると、私の過去の作品類も何らかの形で協力をすることになるかもしれません。現時点では未確定情報の域を出ませんが、そういう可能性の俎上に載っただけでも、過去にPC-8801シリーズに関わって生きてきた人間として光栄に思っています。

 実は、当初は冒頭の物騒な問題が起きた余韻と、趣旨を理解するのが面倒だったこともあり、半信半疑のまま「お断り」をしていたのです。ただ、その後に自分なりにキチンと調べた結果、納得どころか「ここで全面協力をしなかったら男じゃない!」とまで意気に感じたのでした。

 そんな勘違いのストーリーも、これまた私とPC-8801との最初の出会いにも通じる「何か」が作用していたような気がしてなりません。これまで無縁だった点と点が線になるのか、それとも運命の糸が細すぎて切れてしまうのか、未来のことは知りようもありませんが、久しぶりに昔を振り向いてワクワクしている自分がいるのでした。



〜〜〜〜 ちょっと一言ご挨拶(2025.10.17)〜〜〜〜

 未登録の電話に出ないようにしてからというもの、面倒なセールスや詐欺の電話に振り回されることはなくなったけど、相変わらずそれらしき電話はかかってくる。それも、まるで大好きな「うたた寝」タイムを邪魔するようにネ。ホント、非常に迷惑…デス。

 ところで、第94回の『さらに一言ご挨拶』で通路の整備について触れたが、鉄道線路と同じで「通路は続く〜よ♪ど〜こまでも…」となることまでは想定していなかった。しかも、あらゆる通路がそうであるように、それぞれの通路にはそれぞれに異なる景観というものがある。廃棄物や雑草を放置したままでは、せっかくの通路が台無しになってしまうのだ。

 ということで、老人の転倒防止のために補修工事をした例の通路が再び登場する。ペイントを施してきれいに改修されている…ように思わせていたが、それはあくまでも画像の範囲内でのこと。工事中の部分は、あえて見えないようにアングル調整をしていたに過ぎない。

 この画像からさらに時間を戻すと、そこには無造作に敷いた砕石の上に通路を形成する石が並んでいただけ。それでも、そこは母屋解体で出た廃材や不要物などを置く、いわばガラクタ置き場だったのだから、後片付けとはいえ何もしなかったというわけではない。ただ、そんな状態が10年以上続いていたのは、目指したいイメージが浮かばなかったから…だ。

 これをどのような景観にするか、なかなかアイデアが脳に降りて来ない日が続く。一方で、畑周辺の通路やミニ体育館に関する思いつきが山のようにあり、手が回らないのも事実だった。下手に思いつけば、進行中の作業を中断しなければならず、ますます混乱してしまう。

 元来が、いったん何かを思いつくと、専用の道具からオブジェまで先行して入手するという用意周到…というより「あわてんぼう」な性格。ここだけの内緒の話、用途を忘れて在庫状態となった備品が実はいっぱいあるのだ。そういう意味では、目指したい風景が降臨しなかったのは逆に幸いだったといえよう。

 ところが、どういうわけか昨年(2024年)末に、突如として水路の向こう側の景観がイメージとして浮かび上がって来たから、サァ大変。これを自力で止めようという知恵もなく、ハッと気がついたときには、すでに新規の造成工事が開始されていたのであった。

 凝り性なのか、本物の水がなくても池はペイントで常に満水状態…に見せかける。田んぼの水位調整用のゲートを水門に転用し、木目調に塗装をして雰囲気を出す。それもこれも、イメージにある景観に近づけるためだ。

 中央にある古い杉の木は、円形状に芝生で取り囲む予定。いろいろと夢を膨らませながらも、この段階で用意しておかなければならないことがある。それは、閉鎖地には雨水抜きの排水経路が必須ということ。これは通路を整備する際の鉄則…と経験則から学習した知恵だ。

 こうして、あれやこれやと気配りと失敗を繰り返しながら、数ヶ月かけて降臨して来たイメージ上の景観が姿を現したのであった。高さ2メートルほどの岩山だけど、処分せずに確保していた廃石などを一輪車で運び、総計1トンを超えるモルタルを練り、ようやく築き上げた汗とホコリの結晶。客観的には、こういうものを道楽というのだろう。

 ちなみに、なぜ岩山の色が赤い(←正確にはあかね色)かというと、脳内に浮かんだイメージがそうだったから…としか答えようがない。アメリカ西部の砂漠で、夕陽に照らされる岩山をモチーフにしたつもりだけど、実物を知らないから単なる空想の産物。あまり他人様(ひとさま)に見せるべきものではないかも…ネ。

 …と言いつつ、これまた景観の一部であって全貌ではない。左端には、すでに大きな石を積み上げたような形跡が見えている。すなわち、何か別のものが建設途上にあるということ。性懲りもなく道楽を継続しているわけだけど、仕方があるまい「通路は続く〜よ♪ど〜こまでも…」と昔から歌われているんだから…。