本日のご来場、まことにありがとうございます。毎度のことながら、やりたいことが山積して大忙しの日々が続いています。さらに、この夏以降は新規の事業…じゃなくて「新規の道楽」が動き始めたことで、身体も脳内も大混乱。まるでメダパニの呪文にかかったかのようです。
とはいえ、忙しさとは行動の優先順位に起因する問題ですから、優先トップになれない雑務が多数あるというだけのこと。ライフスタイル的には、従来と同じ「のんびり人生」のまま地道に推移しています。早い話、遅延に対する責任逃れの言い訳…それを人は「忙しい」と偽装するのです。
どんなに多忙でも、収入と無縁なところが道楽の道楽たる所以です。ということで、節約志向で大好きなジュースを果汁100%から20%(←銘柄指定:小岩井純水みかん)にランクダウンしました。
ところが、飲んでビックリ…酸味と人工的な甘さがさっぱりしておいしいのです。それは、学生時代に好き放題には飲めなかった「噴水型ジュース自販機」の味を彷彿させるものだったのです。もちろん、当時とは成分的に全く異なるのでしょうが、こうして昭和のテイストが脈々と続いているところにうれしさを覚えたのでした。
昭和といえば、若き日にヨーロッパを放浪する大義名分で通った例の英会話スクールで、最初に隣席で親しくなったのがスイスから来たウルスです。日本の「イツ」に興味があるという話が理解できず、その問答だけで会話が続いたのです。
最終的には、川端康成の名前が出て伊豆(IZU)をドイツ語読みしたというオチですが、4つ年下のウルスが伊豆のどこに…と疑問だけが残っています。というのは、口調は穏やかでもロングヘアーに無精ひげ、怠惰そうな雰囲気で、第一印象は放浪のヒッピー。これが、純真な踊り子をイメージさせる伊豆と似合わなかったのです。
さらに、とある休日に近く(ヘイスティングス:Hastings)のお城を見学に行ったとき、なんと同じクラスの日本人女性(Etsuko)とデートをしていたのです。運命を感じる偶然の遭遇でしたが、これによって第二印象はプレイボーイと相成りました。
日本に戻ってから数年後、そのウルスから結婚をするという手紙が届きました。そのお相手は、あのときの英津子(Etsuko)さん。単なるプレイボーイではなかったのです。ということで、第三印象でようやくジェントルマンになったのでした。
それから半世紀。何度か親しく往来していましたが、もう20年以上会っていません。そんなお二人が、移住先のニューヨークから久々に来日するという連絡がありました。しかも「ぜひトオルに会いたい!」と言われれば、行動の優先順位がトップになるのは必然の流れでしょう。すべての雑務を排して、滞在している横浜のホテルまで出かけました。
そこで見たウルスは、治療困難な難病のため車椅子での移動を余儀なくされ、体調もお世辞にもよいとは言えない状態でした。飛行機で日本まで来れたのが、奇跡と思えたほどです。それでも、あの日あの時のブライトンでの話題になると、想い出話に大いに花が咲いたのでした。
まるで絵に描いたような諸行無常の世界です。ふと目を移せば、ホテルの窓から大型クルーズ船が停泊している大桟橋が見えています。そこは、1973(昭和48)年6月23日…大きな不安と夢を抱きながら、シベリヤ経由でブライトンへと旅立った忘れじの港なのです。
なんだか想い出が脳裏を駆け巡って、しんみりとセンチになりそうですが、人生は常に前へ前へと進むことしかできません。ということで、冒頭の「新規の道楽」が改めて登場します。
それは、独力で解体した「お離れ」の跡地に、ミニ体育館(←トレーニング道場)を建設したということです。建てたのは、もちろん地元の建築業者さん。いろいろと紆余曲折があって、計画から数年の月日を要してしまいましたが、とにかく全力で夢に向かった結果です。
Where there is a will, there is a way.
昔から大好きな言葉です。しょせん個々の人生なんて、他人からすれば道楽みたいなもの。それぞれが、それぞれの意志で、それぞれの道を探し求めて、ひたすら歩み続けているのです。