■ ご挨拶:第95回(2023年10月1日)■

★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 

 本日のご来場、まことにありがとうございます。いつも何かしら夢や目標に向かって前進していますが、最近になって少し気になることがあります。それは、次々と浮かぶ新たなターゲットが多過ぎて、このままでは死ぬまでに処理し切れないのでは…という不安が芽生えたことです。

 もちろん、そうならないように毎日を時間刻みで割り振ってはいるのですが、半歩前進〜半歩は修理という牛歩のペース。そこに新規の夢が出現するのですから、すでに見えないゴールポストがどんどん遠ざかってしまうようです。ウ〜ム…どうするべきか思案橋ブルース。

 沈思黙考の結果、まずは「全盛期のミル・マスカラスの体型」という生涯目標にケリをつけるのが先決ということになりました。具体的には、7月で年齢が1つ増えたことを契機に、筋トレにおける腕立て伏せの回数を+20回(310回→330回}に引き上げたのです。その結果…

 <<<トレーニングの所要時間が増えただけで未だ体型には反映せず>>>

…というのが最新情報です。結局、単に忙しさに拍車がかかっただけ。増やしたものを減らすわけにもいかず、来年には更なる増加を検討しているところです(←家族は反対)。

 ちなみに、現在のライフスタイルは二拠点暮らしがベースですが、トレーニングは埼玉の自宅で行う≪筋トレ+ジョギング(3km)≫に限定してカウントしています。田舎での運動は、すべてオマケという扱いです。
 年間目標は 365÷5=73回(5日に1回)。日程的にはギリギリのハードスケジュールです。繰り越しはせずに年末でリセットするので、正月といえども手は抜けません。かくして、栄養ドリンクが必需品となっています。

 ここで、唐突に時間を少し後戻りさせます。去る5月27日の土曜日…およそ50年ぶりに春の早慶戦を見に神宮球場へ行って来ました。さすがに一人では孤独感があるので、興味のない妻に同行を頼んでの観戦です。

 最大の夢は、学生時代に味わった独自の高揚感の再来ですが、それは応援部の指揮下にある応援席でのこと。よく考えずに一般席のチケットを購入してしまったため、盛り上がりはバラバラで一体感がありません。

 そのため、フェンスで仕切られた応援席に近づいてウロウロしたり、その雰囲気を自宅でユックリ味わおうとデジカメを構えていると…

「自分の席に戻って観戦してください!」
「撮影は一切禁止ですヨッ!」

…と、どこからともなく見張り役の部員がキツい顔で近づいてきます。新型コロナ下から3年ぶりの応援復活ということで、部員たちもピリピリしているようでした。

 ということで、独自の高揚感の再来の夢は叶いませんでしたが、強い日差しと暑さだけは50年前とまったく同じ。それを確認できただけで十分に満足です。これにて、早慶戦の球場での観戦は思い残すことなく卒業となりました。

 蛇足ですが、応援で半日を歩き回ったこの日も、帰宅する間もなくトレーニングです。休養したいのですが、こうでもしないと回数の目標(←ノルマ?)を達成できないのです。ツラいのォ…。



〜〜〜〜 ちょっと一言ご挨拶(2024.1.27)〜〜〜〜

 とりあえず、腕立て伏せについては10月後半から350回に増やしてみたのだが、なんだかチマチマしていて自分自身が情けない。そこで、12月から一挙に400回にしてみたものの、腕の疲労感からすれば似たり寄ったり…。

 ならば…と、新年の初筋トレはご祝儀を兼ねて500回に挑戦。心地よい筋疲労は、おそらく身体が違いを感じたのだろう。その後、従来の400回に戻したところ、今度は妙な罪悪感ばかりで心地よさがない。ということで、数字的にもキリのよい500回に落ち着いたのであった…当面は。

 エッ、なぜに「当面は」となっているのかというと、これまた数字のバランスで腹筋運動の600回と不一致だからだ。いつの日か、これを一致させようという気になるかもしれない。そんな気まぐれに対する本能的な逃げ道が{当面は」なのである。

 それはそうと、およそ50年ぶりに訪れた神宮球場…。

 さすがに以前よりはきれいになっていたけど、基本的なレイアウトは昔と同じで変わっていない。

 何よりこれがうれしいのだ。過去を懐かしむ人間にとって、同一感があってこそ安心できるのだから。

 新型コロナ以降、久々の観客席での応援復活。それも花の早慶戦ということから、試合前から大勢の人がウロウロしていた。

 それでも、外野席のほうは見るからにガラガラだったから、世間的にはまだ自粛ムードが抜け切れていなかったといえるかもしれない。

 試合のほうは、終盤に逆転ホームランが出て早稲田の勝利。勝敗には執着していなかったけど、やはり勝てば勝ったでうれしいものだ。

 試合後は、勝利チームから先に校歌を歌う。その後にゾロゾロと退席する人が多いのも、昔と同じ光景だ。

 ちなみに、二戦目と三戦目は慶応が勝利している。

 そして、実はこの日…学生時代にかぶっていた往年の学帽を紙袋に入れコッソリと持参していたのだ。

 とはいえ、試合中はどうにも恥ずかしくてかぶれない。そこで、帰り際に意を決して記念にパチリ。

 年月を経て帽子が縮んだのか、賢くなって頭が大きくなったのか、それとも元々サイズが合っていなかったのか、いずれにしても「小さいッ!」というのが久しぶりにかぶった印象だ。それでも、かぶれば学生時代のことがグルグルと脳裏をめぐる…。

 当時の自動車部では、体力強化が主役のような夏の軽井沢合宿に対し、運転練習そのものを主眼とした冬の館山合宿というものがあった。

 練習ドライブ中は、ドライバー以外の下級生はトラック(いすゞTX)の荷台で移動させられることが多い。

 このとき、キャビンと荷台の幌との隙間から顔を出すように命じられるのだ。今ならパワハラだが、すべては細かい規制のない昭和40年代ならではのエピソード。

 ある夜のこと。真っ暗闇の砂利道を走行中に、この学帽が揺れと風で後方へ吹き飛ばされてしまった。あわててキャビンを叩いてトラックを止める…。

 右側には、大きな岩がゴロゴロしている深い川。左側は背丈ほどの石垣。どこに飛ばされたのか、皆目見当がつかない。

 かくして、行き先不明となった小さな黒い学帽を、懐中電灯を頼りに全員で捜し回るハメになったのであった。たかが学帽、見つからなければいくらでも買うことはできる。それよりも、時間通りに練習日程を終えることのほうが重要なのではないか。

 いつしか、もう無理だから諦めようとか、早朝に明るくなってからまた捜そう…という声が聞こえてくるようになった。しょせんは、どうでもいい個人の学帽…。

 だけど、持ち主である私にとっては別だった。ここは一人置き去りにされても、イヤたとえ退部を余儀なくされても捜し続けなければならない。そんな決意を上級生に意思表示した直後に、なんと自分の目で発見した。

 学帽は、川の中でも、道路上でもなく、左側の石垣の上にチョコンと鎮座していた。その姿は、まるで発見されることを待っているかのように、お行儀よく正面を向いていた。

 なぜ、そこまでヨレヨレの古い学帽にこだわっていたのかというと、それは永遠に「自分のものではない!」という意識が強くあったからだ。

 初代の持ち主は、同じ大学/学部出身の父親。子供のころから、服入れ茶箱に保管されていた記憶があるので、たとえ譲り受けても感覚的には借り物でしかない。どうりで、私の頭とサイズが合わないわけだ…と、今ごろになって気づいたのであった。