■ ご挨拶:第92回(2022年10月6日)■

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 本日のご来場、まことにありがとうございます。今夏は、セミの鳴き声が例年ほどの勢いのないまま聞こえなくなってしまいました。そんなセミと秋の虫がコラボし始めた夏の終わりのころ、見慣れない一匹の蝶がイチジクの木で羽休めをしていました。

 ソッと近づくと、その蝶は近くの栗の木に移動し、葉の上でゆっくりと羽を広げたり閉じたり…まるで手招きするように誘惑するのです。見え隠れする羽模様は、イチモンジチョウやツマグロヒョウモン(メス)とは明らかに違うものでした。

「こ、これは…もしかして!?」

 瞬間的にひらめいたのが、まだ見ぬ国蝶オオムラサキのメスです。オスのように美しく紫色に輝く羽はありません。一方で、メスグロヒョウモンや希少なスミナガシのようでもあり、グルグルと蝶名が錯綜し頭が混乱します。
 とりあえず、この興奮とうれしさをキープするために、その場での結論は「待望のオオムラサキ発見!」ということにしたのでした。

 その後、落ち着いてから改めて『日本蝶類図鑑』で調べてみました。気になるのは、やはりそのサイズです。オオムラサキのメスは、実はかなり大きく羽を広げると10cm以上になります。でも、あれはどう見ても7〜8cmでした…アレッ?
 となると、紋様の似たゴマダラチョウという可能性も排除できません。これでは「大山鳴動ネズミ一匹」みたいな結末で、検証不能なまま意気消沈してしまいそうな気分です。

 どうにもモヤモヤとした結論のまま、話はガラリと変わります。少し前のことですが、生涯忘れられないような小さなうれしいことがあったのです。

 実は、私と同世代の友人たちはいつの間にかみな「おじいさん」になってしまい、言動からは覇気よりもリタイヤ感ばかりが伝わってきます。それぞれの未来へ向けた夢とロマンは、いったいどこへ行ってしまったのでしょう。
 そんな彼らからすれば、白髪がほとんどない(←ホントは探せばいっぱいある)という見た目のせいなのか、あるいは行動がハチャメチャなせいなのか、私は「絶対に変!」だそうです。

 それゆえに、これまでに鉄人とか怪人、はたまた怪物とか化け物…などと呼ばれることが少なからずありました。お世辞なのか、冷やかしなのか、バカにしているのか、背景にある深層心理はわかりませんが、とりあえず電車内では優先席を避けるようにしています。

 そんな情けない「見習いおじいさん」が、ある日二歳半になる末孫の菜々子と、赤い風船をポンポンと交互に弾ませて遊んでいたときのことです。いつぞの友人みたいなチクチク感のない、驚くほどうれしい表現で私を喜ばせてくれたのです。

「こんどは父ちゃんがやって…」
「エッ、父ちゃんじゃなくてじいちゃんでしょ」
「じいちゃんじゃない…父ちゃんだッ!」

 おそらく、テレビや絵本などを通じて二歳半の孫には二歳半なりの「じいちゃん」の定義があるのでしょう。その概念に当てはまらなかったから、その次に位置する存在として「父ちゃん」が出てきたのだと思います。
 本物の父親にとっては、あまりうれしくない会話だったかもしれませんが、小さい子は純粋で心に正直なのです。見たまま、感じたまま、表現には何の配慮も打算もありません。だからこそ、思わず涙腺が緩むほどの感動となったのでした。

 もっとも、これは一瞬だけの「うたかたのご褒美」みたいなもの。この時期は、どんどん知識を吸収して、アッという間に成長してしまいます。決して二度目はないのです。
 それだけに、このうれしい記憶は脳内でしっかりとROM(Read Only Memory)化され、永遠に忘れられない会話となったのでした。孫がかわいいって…やっぱり立派に「おじいさん」ですよネ!


猪木さん


 去る10月1日に、私の闘魂の原点であるアントニオ猪木さんがご逝去されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

 一介のファンに過ぎない身ですが、学生時代(50年以上前)からそれを公言してきたこと、それだけでも自分の誇りに思っています。全力で闘う姿勢、夢を追う姿勢、諦めない姿勢…これからも永遠のスーパーヒーローとして輝き続けるでしょう。

 猪木さんがブラジルからプロレス入門した17歳のとき(1960年)、11歳だった私は迷い犬の朝夕の散歩からトレーニングを開始しました。あれから62年。猪木さんから伝承したと勝手に思い込んでいる闘魂の炎は、人知れず燃え続けています。

 親戚でも関係者でもないのに、なぜか直接関わった方々の弔文を見聞きすると、つい感情移入して涙が出そうになります。でも、逆にそういった直接的な関係がないからこそ、感覚的には永遠に闘魂あふれる猪木さんのままなのです。

 だから、私はこれからも落ち込まずに「元気があれば何でもできる」「迷わず行けよ行けばわかるさ」の精神を人生の座右の銘に、ひたすら走り続けたいと思います。

虎は死して皮を残し
猪木さんは死して闘魂を残す

偉大なる猪木さんに合掌



〜〜〜〜 ちょっと一言ご挨拶(2023.1.26)〜〜〜〜

 おそらく大多数の人にとって、蝶の話題などチンプンカンプン…というより「どうでもいい」という気分かもしれない。

 でも…マァ、すべてのテーマが「どうでもいい」といえば「どうでもいい」ことなので、とりあえずはこのオオムラサキを少し掘り下げてみよう。

 このとき参照した書籍『原色日本蝶類図鑑』は、半世紀以上前の昭和36年(1961年)10月25日に増補版として改訂されたもので、初版は昭和29年6月5日。まだ日本中を汽車ポッポがメインで走っていた時代だ。

 そして1961年。私は、蝶と鉄棒と自動車が大好きな中学一年生。以前から本書が欲しくて親に頼んでいたのだが、改訂版が出るという書店情報で数ヶ月待たされたことを記憶している。

 その記憶を証明するかのように、ご丁寧にも巻末に購入日(S.36.10.13)を親が書いていた。発行日より早いところが、いかにも大らかな昭和らしい。レコードなんかもフライングが当たり前だったのだ。

 この本には、実際に採取した蝶の写真だけでなく、その生態系なども詳しく書いてあり、蝶の収集者にとって絶対的なバイブルだった。しかも、オスとメスの違いが大きい場合は、両方の写真を掲載する完璧さ。これぞ唯一無二の存在といえよう。

 ということで、オオムラサキの画像を参考として引用させてもらった。実物はもっと大きいが、それでもサイズの違い、そして美しさの違いが一目瞭然だ。

 オスのほうは、実は紫の羽がキラキラと輝いてさらに美しい。対して、メスは大きいだけで色合いとしては薄暗い。おまけに、散々飛び回って羽がくたびれてくると、鱗粉が落ちてカラー自体が消えかかってしまう。これで個体差で小さいメスだとしたら…いろんな蝶が脳裏をよぎるのも「むべなるかな」といえるだろう。

 紋様のほうは、ご覧のようにゴマダラチョウとよく似ている。幼虫なんて、見た目は背中の突起数だけの違いなのだから、似ているのは当たり前かもしれない。

 そういえば、中学生のころオオムラサキの幼虫探しをしていて、あまりにゴマダラチョウの幼虫ばかりだったので、ナイフで突起を作ろうか…なんて恐ろしいことを考えたことがあった。

 さすがに「それはダメだろ!」と自戒したけど、若さと無知とは表裏一体。時に「とんでもないこと」をするものなのである。

 高校生のころ、顔の色が黒いという劣等感から、タオルでゴシゴシ擦れば白くなるという発想に至り…その結末は誰が考えても想像通りだよネ。

 皮がむけて…ヒリヒリと血がにじんで、左目の脇には永遠に消えない小さなシミ跡だけが残ったのであった。ア〜ア、元気に外で遊んで日焼けしただけなのに…と学習するのは、いつだって失敗の後である。

 それはそうと、見習いおじいさんに「父ちゃん」と喜ばせてくれた末孫の菜々子だが、数ヶ月後にはシッカリと「じいちゃん」となっていた。その成長もうれしいけど、いちおう念には念をということで、やんわりと聞いてみた。

「アレ…父ちゃんじゃないの?」
「おじいちゃんでしょッ!」

 これまた、初めて耳にする「じいちゃん」ではなく丁寧な「おじいちゃん」という言葉。それだけでデレデレになっちゃいマスよ。おまけに、大好きなヒコーキを何度もしたお礼にと、頭を「なでなで」してくれるのデスよ。


※ヒコーキとはこの体勢から激しく上下に浮き沈みさせるお遊び。
※7〜8回で終わると間髪を入れずに「ヒコーキ」と催促される。

 幼少のころから、頭をなでられたことなどない(←単に記憶にないだけかも)ので、これまた感動のうれしさなのであった。

 今はもう三歳となった末孫だけど、年寄を腑抜けにさせる術を、生まれながらにして持っているのかもしれない。というのも、まるで心境を見透かしたように、時にさりげなく「父ちゃん」とか「おじいちゃん」と混ぜ込んでくるのだ。もう完敗だネ。

 もちろん、可愛さだけならどの孫もみな同じ。ただ、こうして手のひらでころがされるのは、これまで遊んだ孫にはなかった新鮮な体験。ア、これってもしかするとホステスさんの話術につられて飲みに行く人の感覚(←飲めない私には理解不能)なのだろうか???