ダンベルを持って毘沙門山(びしゃもんさん)へ初登頂したのは5月4日のこと。まだそれほど暑くなく、木々の緑も初夏らしく初々しい。
先祖代々の例の紅葉の木の向かい側には、少々大袈裟な感じの『毘沙門山城山遊歩道』の案内板がある。この「城山」というのは、山頂から尾根伝いに進むと烏山城址(←現在は石垣が少し残っているだけ)へ続いているという意味だ。
畑で野良仕事をしていると、地元の人と勘違いされてよく声をかけられる。急な石段が遊歩道という雰囲気ではないので、不安を感じるのかもしれない。つい「迷わず行けよ 行けばわかるさ」と言いたくなるが、そこはグッと我慢で素朴な地元民を演じる…。

手すりのある最初の石段は、五十数段で少し開けた場所に出る。そこからが、これぞ山道という感じの階段が続くけど、もちろんトレーニングの一環だから休憩などはしない。
たとえ両手にダンベルを持っていても、この程度の歩行は「どうってことない!」のだ。ただ、上を見ると風景に圧倒されて長い道のりに思えてしまうので、足元を見ながら段数を数える。しょせんは450段ほどの遊歩道だ。
半ばを過ぎると、整然とした石段から擬木による段差となる。擬木から次の擬木までの間隔は、およそ80cm前後。歩幅としては広めだけど、ここは大股でノッシノッシと歩くことを、自分なりの秘めた流儀としている。
あるとき、足を伸ばそうとした眼前の擬木に沿って、細長い枝≪のようなもの≫があって、踏むことを躊躇したことがあった。でも、躊躇して大正解。その枝も踏まれたくないと思ったらしく、あわててニョロニョロと藪の中へ消えて行ったのだ。
ご多分に漏れず、私もヘビは苦手なほう。たとえ苦手でも、こういう田舎では「ヘビとの遭遇」はよくあることだ。
だから、出会ったときは、基本的に黙ってソッと見送る。
ヘビからすれば地面すれすれの目線で、見上げるような大きさの人間を見るのだから、本音は穏やかに逃げ去りたい…と思っているに違いない。
もっとも、毒が自慢のマムシだけは、好戦的な態度を取りそうだから要注意だけど…ネ。
そういえば、そんな苦手なヘビを一度だけ妙に可愛いと思ったことがある。
あれは、もうすぐ春という季節のころ。雑草の上に置きっ放しになっていた錆びたトタン板を、何気なく移動しようと、ガバッと持ち上げたときだった。
おそらくは、暖かいトタン板の下で気持ちよくグッスリと冬眠中だったのだろう。
突然の出来事に、瞬時には何が起きたかわからず、かま首をもたげて周囲をキョロキョロと見回しているだけ。
そのときの、いかにも動転した様子が、人間臭くてとても可愛らしかったのだ。
とりあえずは、その場から移動をしなければ…と、ニョロニョロならぬギクシャクと動き始めた姿は、思い出しても微笑んでしまうほどだった。
でも、内心では「お休み中にご迷惑をおかけして申し訳ない!」という気分。いくら苦手なヘビとはいえ、寝ているところを起こすほどの敵対心はないからネ。
ちなみに、この日はそれぞれの手に6kg(計12kg)のダンベル。よく考えたら、両手で異なる重量でも差し支えないわけで、現在では6kgと8kgを往復で持ち替えて持っている(計14kg)。そんなことから、時間のかかるリサイクルショップ巡りは中止とした。
歩行中の写真を見ると、腕の振りが左右揃っていることがわかる。実は、これも「秘めた流儀」なのだが、あえてヒジを伸ばさないことにしているのだ。それゆえに変な歩行姿勢だけど、あくまでもトレーニングの一環なのである。
そうこうしているうちに、およそ8分の時間が経過して頂上に到達する。子供のころは六角堂というお堂があったが、それがなくなって鉄製の展望台となり、それも数年前に取り壊され、現在はブロンズの派手な毘沙門天像が飾られている。
ここで1分程度の休憩をして、降りればオシマイ。5〜6月は爽やかな気分だったけど、その後の長雨で山道が枯れ枝で乱れ、頂上手前では大きな雑草が立ちふさぐように伸びている。
おまけに、蚊の季節となって首や腕の周りをブンブン飛び回る。まるで、両手にダンベルで追い払うことができないと知っているかのように、しつこく付きまとうのだ。そんなわけで、8月〜9月は偵察程度に1回ずつしか登っていない。
マァ、登らなければならないという義務はないので、いずれ山道が整備されたら楽しく登れるようになるだろう。その先にある夢(←全盛期のマスカラスの体型)に向けて…。