人生というのは、生まれた時代や環境、偶然の運やタイミング…など、意志と努力ではどうにもならない要素に囲まれながらも、結果として各人の支配下にあるかのごとく形成されていく。
それが積もり積もって個々のヒストリーとなるのだが、物語の始まりをたどると意外なところに原点があったりする。もちろん、これは金髪のお姉さんとの続き話ではない。生まれ育った時代と環境を経て、偶然の運とタイミングに加えて、意志と努力が重なった小さな裏話だ。
ということで、時間が許せば次の画像をクリックして、貴重なドキュメンタリー番組『山の分校の記録』を見てほしい。
概要は、昭和34年(1959年)に栃木県の栗山村土呂部部落(当時)に、NHKからテレビが貸し出された経緯と山奥の暮らしを、子供たちに焦点を当ててまとめ上げたものだ。
この番組が放映されたのは1960年。詳しい事情や背景は省くが、あやふやな記憶によれば、この年から3年に渡って、夏休みと冬休みの大半をこの土呂部で過ごさせてもらっていた。
1つ年下の弟と二人で、親に勉強を強要されることもなく、地元の子供たちと朝から晩まで自由気ままに遊び回っていたのだ。
ミツルにセイジ(泊めてもらっていた家の兄弟)、よく互角の相撲を取ったイツオ。番組には大勢の懐かしい顔が残っている。
その他にも、サダオ、タカシ、キヨシ、タダシ、ツヨシ、カオル…等々、名字を知らないまま下の名前で呼び合っていた。もちろん、私もトオルと呼ばれて対等に遊び合う仲間だ。
番組中では、特に目がキラキラと輝いている少年としてツヨシにスポットが当てられている。名は体を表す…というように、子供たちの間では力が強いと評判だった。
もっとも、これは実態よりも名前のイメージがそうさせていただけかもしれない。あるいは、子供の目線でそう思わせる雰囲気がどこかにあったのだろう。精悍な表情には、芯の強さが力強さを表現しているようにも見える。
記憶に間違いがなければ、家が道路を挟んだ向かい側にあった(※これは記憶違いで、向かい側は年下のキヨシの家だった…ような?)。そんなことから、やはりよく遊んでいたのだが、果たして覚えているだろうか?
もう18年も前のことだけど、40年ぶり以上で再会する機会があった。実に長いブランクにもかかわらず、笑顔で昔話に花を咲かせられるのはうれしいよネ!
ちなみに、現在では一般的には「部落」という呼称は避けるのが通例だが、少なくとも公民館には歴代部落長として写真が飾ってある(2008年確認)。あえて集落などとしないところに、先祖に対する思いと地域のプライドが感じられる。
そんな懐かしい想い出と、楽しく遊ばせてもらった土呂部への感謝の気持ちを込めて、初めての作品『ホーンテッドケイブ』のイメージストーリーに登場させたのであった。
現在では、土呂部は福島などへ続く林道の通過点となってしまったが、当時は「青柳平」というバス停から山奥へ6kmほど入った終着点。つづら折りのトラック道を、何度も近道で横断しながら橋のない川を渡ってたどり着く秘境の村だった。
ご多聞に漏れず、ここにも高齢化と過疎化の波が押し寄せている。物質的にはとても豊かになったけど、あの大自然の中で素朴に遊んだ古い時代が妙に恋しい。これって、もしかすると動物的本能によるものなのだろうか、それとも単なる老人の郷愁…?