■ ご挨拶:第87回(2021年3月19日)■

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 本日のご来場、まことにありがとうございます。どうでもいいことなのですが、当HPの日々の来訪者数といえば、多少の増減はあるものの…ほぼ1桁というのが長年の慣例となっていました。内容からして、マァ…それなりに「ふさわしい数字」といったところでしょう。
 それに、あまり多いと魔物≪更新の呪縛≫に襲われることになるので、のんびり屋にはこの程度がちょうどいいのです。休日がないほど忙しい(←全部が休日みたい…とのウワサもある)のに、さらに魔物では「一巻の終わり」ですから…ネ。
 ところが、この1月24日にカウンタ数が突如として急増(+60)したのです。いったい、どこで何があったのでしょう。現在はかなり落ち着いてきましたが、それでも従来の慣例に比べれば倍増レベルの高水準。実に他愛のない「どうでもいいこと」なのですが、まだ見ぬ魔物が気になって…どなたか真相を知っていたら教えてください(←ご褒美はありません)。

 これまた「どうでもいいこと」なのですが、最近になって「世間では70歳を過ぎれば一律に高齢者と見なされる…と自覚させられる」と知りました。最初は医療費の負担が3割から2割へ減って喜んだりするのですが、運転免許の「高齢者講習」となると一喜一憂そのものです。
 とりあえず「決まりは決まり」ですから、先日真面目に講習を受けに行ってきました。教官のネタとも思えるギャグを交えたトークにも素直に笑い、従順に受講したのでした。
 もっとも、興味の焦点は運転講習に関することではなく、スラスラとテンポよく語る話術のほうにありました。数少ない講演で大スベリした身としては、受講者を飽きさせずに振り向かせるトークにプロの腕を感じたのです。
 独学で会得したのか、話し方教室などで学んだのか、いずれにせよ大いに参考にすべきと思ったのでした。どんなところからも学ぶ姿勢が大切…と思いつつ、よくよく考えれば一般老人に講演の機会なんて二度とないのです。
 …などと空想しているうちに、教習所内を実車で運転する最後の講習となります。これは、運転そのものより教官の思惑通りの動きをするかどうかですから、とにかく「ウジャウジャ言われる」ものです。反論すれば倍返しですから、素直に「ハイ」と聞いておくしかありません。
 運転技量チェックとしてクランク通過もありますが、こんなものは朝飯前。いとも簡単にスイスイ通られては、雄弁な教官も無言となります。そして、最後は路肩に停車してオシマイです。おそらくは、ここでダメ出しの最終総括があるのでしょう。
 ところが、左側に間隔を開けて停車したことが想定外だったようです。その理由が「ドアが当たらないように」と知ったとたん、開け過ぎを確認させようと身を乗り出して目いっぱいに助手席側ドアを開けたのでした。これが、アレマのどんピシャリ!
 こうなると、自ら確認した教官のほうがバツが悪くなってしまいます。ということで、何のコメントもなく「降りていいです」の一言…でした。

 伊達に50年もフル免許を所持していませんヨ…なんて言いません。体内年齢も脳内年齢も30代ですヨ…なんて言いません。激しい筋トレやって走っていますヨ…なんて言いません。
 だって、実体がどうあれ…オフィシャルには正真正銘「70代のおじいさん」なのですから。貫禄がないことは自他ともに認めるところですが、つくづく年齢を自覚することの難しさを再自覚したのでした。
 ただ、かつてのクラスメイトがみな「普通のおじいさん」になってしまったので、おじいさんらしくしようとは思っているのですが、わざわざ白髪に染めるのもねェ…。そんなことより、早く全盛期のミル・マスカラスの体型になりたい…と今日も思うのでありマス。


〜〜〜〜 ちょっと一言ご挨拶(2021.7.13)〜〜〜〜

 脳年齢のほうは、72歳の誕生日の1日前(7月10日)に念願の20歳を達成することができた。その日の診断メニューがマウス操作に適していたのかもしれないが、なんと二度連続しての20歳。ホントにそれが脳年齢のベスト状態かどうかは不明だが、こうなると19歳になってみたいと思ってしまう。

 いっぽうで、走力のほうは進歩どころか月日を重ねるごとに着実に後退しているようだ。たとえマスクをしながらとはいえ、3km走の後半1,500mで7分を切れないのだから、問答無用で「喝ッ!」の一語に尽きる。
 もちろん、ゴール直後には「ハァハァ…ゼイゼイ」としゃがみ込むほどの全力走なのだが、それがまた見苦しくカッコ悪い。

 先日も信号待ちでたまたま停車した軽自動車のオバちゃん(←絶対に年下だと思う)が、わざわざ窓を開けてから「大丈夫?…無理しちゃダメヨ!」だって。
 内心「大きなお世話!」と思いつつ、素直に「ア、はい…大丈夫です」と弱々しく答えたのであった。これまた情けない…。

 似たような光景は、これまでにも7〜8度ほどあった。徘徊老人の心臓発作と勘違いされたのかもしれないけど、これを解決するには「もっと走り込んで鍛える」しかない。しかるに、これがそのプロセスの「成れの果て」だとしたら…ウ〜ム。

 とりあえず、走るほうの現状認識問題は先送りにして、憧れの全盛期のミル・マスカラスに話題を移そう。
 第60回の「ちょっと一言ご挨拶」から、さらにおよそ9年。憧れの本人は、もちろん現在形ではなく過去の雄姿だけど、やっぱり腹部への傾斜がビューティフルだネ。

 その姿を追いかけるこちらは、当然のことながら時の経過のある現在進行形。
 理想に近づくよりも遠ざかりそうな気配を感じないでもないが、その前にカッコよさというのは体型だけではないことに気がついた。

 それは、覆面による無表情でミステリアスな雰囲気だ。これによって、ミル・マスカラスは人間を超越した偶像的存在となっているのではないか…ということ。
 もっとも、覆面の有無だけなら他の覆面レスラーにも通じるはずだが、共通なのは単にミステリアスな部分だけ。基本的には体型あってのカッコよさであることは間違いない。

 とはいえ、ミル・マスカラスが素顔のままのレスラーだったら、そこまで魅力的な存在になっていたのかという疑問は残る。
 素顔というのは、痛がる表情も見えるし、苦しそうな表情も見える。しかも、基本的に顔そのものがカッコよさの重要なファクターなのだ。
 これは、何もプロレスに限ったことではない。スポットライトを浴びる職業においては、顔が訴えるものは計り知れないほど大きい。

 ということで、ミル・マスカラスの素顔が気になるネ。こういう場合、プロレス専門誌は業界誌だから絶対に素顔を明かすことはしない。
 お互いに、持ちつ持たれつの関係で演出効果を高めているのだから、これは当然だろう。

 もちろん、記者を含めた多くの関係者が素顔を知らないはずはない。そこで、ラテン系の美男子という情報までは公開し、プロレス・ファンの夢に応じているのだ。

 ところが、実際にはそれほどの極秘事項ではないようで、地元のYouTubeでは普通にオープンにされている。数十年前の画像とはいえ、確かにラテン系の美男子といえるルックスだ。

 こうして素顔を知った上で、あの体型にオーバーラップさせてみると、カッコよさに変化はないのかもしれないが、偶像的な憧れの対象にはならない気がする。
 その理由は、どうしても存在自体が顔を含めてのものになってしまうからだ。顔は、あくまでも本人の持つ個性であり、私が目指したい対象にはなり得ないのだ。

 では、素顔を知った上で理想に近づくためにはどうすればよいのか…。それに対する答えは、もはや1つしか残されていない。

 そう…こちらも、ミル・マスカラスのように覆面を被るしかない。そんな致し方ない事情によって、とうとうマスカラスの応援用マスクを購入したのであった。

 これでミステリアスな雰囲気を出せる…はず。ただし、いくら覆面をしても筋肉の量が増えるわけではないし、ビューティフルな肋骨が浮かび上がってくるわけでもない。新たに出てきたものはといえば、家族のさげすんだ視線と笑いだけ…。

 確かに、72歳にもなってこんなことを…と言われればそれまでなのだが、別に72歳になって思いついたことではない。いつかはなりたい「全盛期のミル・マスカラスの体型」と思って努力を続けていたら、年齢のほうが勝手に72歳になっていたというだけのことだ。

 ちなみに、ボディビルディングのような真剣なトレーニングは好きではないのでしない。15kgのダンベルは一時期少し活用したけど、ここ10数年は腹筋と腕立て伏せのみ。

 いうなれば「永遠のあすなろ戦士」だネ。でも、あすなろがヒノキになったらオシマイでしょ。ヒノキになりたいと思う気持ちが夢でありロマンなのだから…。

 50年近く追い求めた結果が、まだまだ「この程度かヨ!」と思われるのは承知の上。でもネ…満願成就して夢が消滅するより、明日へ向かう目標があるほうがいい…というのが私の人生観。10年後には、もう少しカッコよくなっているかなァ…???