■ ご挨拶:第86回(2020年11月12日)■

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 本日のご来場、まことにありがとうございます。誕生日が過ぎて実年齢は1つ増えましたが、体重計による体内年齢は相変わらず32〜33才(稀に±1)のままです。タニタ製は「実年齢−15才」が体内年齢の下限なので、生年月日を1979年7月11日(←息子より年下!?)としての計測です。もしかすると、よほど具合が悪い人以外はこうして喜ばす仕様なのでしょうか?

 もっとも、いくら身体が丈夫でも「思考回路が年齢以上のご老体」では差引ゼロになってしまいます。ということで、このところ脳内年齢を示してくれるゲーム感覚の脳トレに、かなり本気になってトライしています。
 精度については、楽天によるポイントサービスの一環なので、あくまでも脳の活性化というレベルかもしれません。とりあえず、週毎に変わる内容で得手不得手があったり、マウス操作(タッチパネル向き)の不手際などがありながらも、ほぼ40歳前後で推移しています。
 これまでのベスト記録は24歳。こうなると30代の判定では満足できなくなり、つい記録を更新したくなるのですが、行き着く先は孫並みの脳内年齢か…と別の不安がよぎります。
 ちなみに、ネットでベストな年齢を調べたところ、脳トレによる年齢判定は20歳を最高状態としているとありました。そりゃ、そうですよネ。

 こうして年齢を気にするのは年老いた証拠ともいえますが、実は気になっているのはそこではないのです。次々と現れる夢や目標を完遂できるかどうか、人生に残された≪時間との闘い≫を勝ち抜くための客観的な指針がほしい…ということです。
 そんな気持ちが芽生えたのは、ご先祖様が残した古文書に触れる機会が増えたからです。ボロ屋敷を整理するというのは、実際には我が家のヒストリーを掘り起こすということ。安易に「ゴミとして捨てる」なんてわけにはいかないのです。
 初代は1700年前後を生き抜いた人物ですが、当人自筆の書状を見ているのは、300年後の子孫…つまり私なのですヨ!
 まるでタイムマシンで間接的に出会っているようなものじゃないですか。とっても不思議でエキサイティングな体験をした気分になります。惜しむらくは、それをスラスラと読んで解釈できないということ。学の無さを痛感する瞬間です。

 そこで、ついに『古文書のよみかた』なる本を購入して、少しでも解読できるようにと努力をしてみました。そこでわかったのは、世の中そうそう甘いものではないということです。
 ただ、いくつかの文字の崩し方が見事にお手本通りだったので、歴代のご先祖はみな書道の勉強もしていたと実感しました。それに比べて、この八代目の字の下手なこと下手なこと。ホント、間接的な出会いでよかった…と胸をなでおろしているところです。


〜〜〜〜 ちょっと一言ご挨拶(2020.3.19)〜〜〜〜

 この脳トレ…あれ以来なかなか新記録を出せなかったのだが、今年になって2度も23歳というベスト記録を出せたのだ。どうやら少しずつ慣れてきたせいかもしれない。

 一週間の平均でも26歳だから、ついつい喜んでしまったけど、あくまでも出題傾向と運にも左右されるのだ。例えば「足して10になるように数字を選べ」という問題では、2つで10になることもあれば4つの数字を選ばなければならない場合もある。制限時間は同じだから、これを同一問題と見なすのは理不尽だよネ。
 それでも、そういう細かいことを抜きにして、いつかは出してみたい20歳の最高年齢。ア、もしかしてこれってお遊びとしてのゲーム…なのかな? だとしたら、すっかり楽天の策略に乗ってしまったことになる。そこまでこちらの心理を読んだ上での仕掛けなら、これは実にスゴいゲームだッ!

 心理ゲームはさて置き、実は古文書の中に信じがたいものを発見したのだ。初代が存在した1700年前後よりもずっと前…1615年(慶長20年)と記されている。しかも、書いてある名前が「家康」と「松平阿波守」となれば、私でなくても「なぜにここに?」と思わずにはいられないだろう。

 内容を解読できないのが残念だが、表裏に書かれているのが腑に落ちない。こんな偉いお方が、用紙をケチるようなことをするのだろうか?
 ましてや、仮に本物だとすればどういう経緯で手に入れたのかが大きな疑問として残る。初代以前を辿ると、日高大和守という人物が系図には記されているけど、数代後に初代となる末裔(すなわち直系長男ではない)に、このような書状をあえて譲るだろうか?

 …というように疑問符だらけのナゾの古文書なのだが、個人的にはこれは偽物…というか単なるイタズラで、ご先祖の誰かが書いたものであってほしいのだ。
 なぜなら、残されている多くの古文書は真面目なものばかりで、とても堅苦しく思えたからだ。私のようにいつも「遊び心満載」の人間にとって、そんな茶目っ気のあるご先祖がいてくれたほうが、より親近感を覚えてうれしくなれる。

「おいおい、これは本物だゾ!」
「お主、よくぞこれをイタズラと見抜いたな!」
「こんな簡単な冗談を見破れないのか?」

 …なんて、ご先祖の誰かが笑っているとしたら、素直に頭を下げられそう。これもまた、古文書を通じての間接対話ゲームといえるかもしれない。