〜〜〜〜 ちょっと一言ご挨拶(2018.12.20)〜〜〜〜
じいちゃん
最近の傾向として「じいじ」という呼び方が流行しているが、どうしても卑語である「じじい」を思い起こして好きになれない。
著名なラジオ番組で「じじィ」「ばばァ」を親しみを込めて使っているという司会者がいたが、その部分だけでその番組も司会者も大嫌いだった…。
とりあえず「じいじ」以外なら名前でも何でもいい…ということで、今のところ「お」のない「じいちゃん」に落ち着いている。
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お世話になった空調服も、さすがに今ではタンスの奥に入ったまま。寒さに弱い私は、コタツで丸くなってジッとしている…なんていうわけがない。
寒空の中、この8月に生まれた4番目の孫のために、未開墾の荒地をスコップで耕し、記念樹(リンゴの苗木)を植えていたのだ。
ネットで調べたところ、早ければ3年後には結実するらしい。真っ赤なおいしいリンゴも楽しみだけど、孫の成長はもっと楽しみ…。
もしかすると、孫とじゃれ合うのはトレーニングより好きかもしれない。早い話が、孫には弱いどこにでもいる平凡な「じいちゃん」なのですヨ。
ところで、手持ちの古いパソコン誌から「西の内藤」さんと呼ばれていたころの画像を探してみたけど、あれだけ頻繁に誌面を賑わせていたはずなのに、数時間かけても発見できなかった。当時の誌面からはスリムな好青年というイメージしか記憶にないが、講演時のワンショットがこちら。
あくまでも主観だけど、プログラマーというより噺家さんみたいにお話上手…なのに、今でも現役プログラマーというところに驚かされる。これはもう根性というより才能・本能による個性かもしれないネ。退役プログラマーからすれば、これはスゴいッ!
我が身を振り返れば、プログラマーという存在がクリエイターからゲーム制作の歯車のひとつになった時点で、まったく面白さ・魅力を感じなくなってしまっていた。趣味として続けるという選択肢もあったけど、それでは一家の大黒柱としての責任を果たせない…。こんな葛藤を繰り返しながらも、ひたすら生き続けることが人生だから、こうして現在も元気でいることが最大のうれしさかな…。
そして、この講演会ではもう1つのサプライズがあった。それは西でも東でもなく、社会現象とまでいわれた『ドラゴンクエスト』の天才プログラマー、いやそれ以前にも『ドアドア』で一世を風靡した中村光一さんが内藤さんつながりで来訪していたこと。しかもご夫婦で…!?
何年ぶりかなァ? おそらく20年以上は会っていないような気がする。すでにプログラマーではなく経営者という立場なので、この先二度と会う機会はないと思っていた。かつては、会うたびに「結婚した?」と聞いていたのに、時の流れを感じた瞬間であった。
ホントはお隣に奥様の姿もあるんだけど、プライバシーを重んじてここではカット。そんなことよりも、エニックスという戦場でゲームという未知なる敵に互いにプログラムで挑んだ戦友(←意味不明のようでもこれが唯一の共通項)として、彼にはこれからも輝き続けてほしいと願うのだ。
未完成の作品を抱えて闇に埋もれていった幾多の戦友たちも、同じ戦場から栄光をつかんだ者がいればこそ浮かばれる。でなければ、総員玉砕の無駄な世界を生きてきたことになってしまう。この笑顔の再会の裏側には、そんな黎明期の「見果てぬ夢と希望」がギッシリと隠れているのである。