■ ご挨拶:第80回(2018年8月27日)■

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 本日のご来場、まことにありがとうございます。時の流れは速いもので、自分を含めて同世代の友人・知人の多く…イヤ全員がいわゆる高齢者という年齢になってしまいました。一見すると当たり前に思える事象ですが、これを自覚するのは意外なほど難しいものです。
 どこまで信じてよいのかわかりませんが、タニタ製体重計による私の体内年齢は概ね36〜38才間で推移しています(注:風呂上りの場合)。
 この機器では実年齢より15才下が判定下限となるようなので、仕方なく20年のサバ読みで1969年生まれ(49才)で登録しての結果です。異なる2台での判定なので、体重計の故障ではないと思いますが、現代人はみんなこんなものなのでしょうか…?
 世の中にはもっと元気なお年寄りもいるし、もしかすると昔はユッタリとしたテンポで時が流れていたのではないか…などと虚無な妄想をしながら、相変わらず真夏の雑草と暗くなるまで格闘をしているのでした。でも、心配はご無用…午後の最高気温の時間帯は休憩(大好きなうたた寝)をしているし、熱中症対策に念願の秘密兵器を導入したからです。
 その秘密兵器とは、これまで高価で購入をためらっていた空調服のことです。余りの猛暑で「立ち眩みを感じるまでの時間」が短くなってきたので、意を決して購入に踏み切ったわけです。どれほどの効果があるのか半信半疑でしたが、体温の上昇が抑えられるため、立ち眩みや呼吸が激しくなることがなくなりました。もはや夏場の必需品として大活躍中です。

 それにしても異常に暑い今年の夏…。そんな中、恒例となりつつあるゲーム保存協会主催の【特別講演「伝説のゲームクリエイターに聞く」第3弾】が8月4日(土)に行われました。会場は去年と同じ淡路町駅から徒歩3分のホテルです。
 道だけは間違えないようにと、淡路町の交差点で方向を何度も確認したので、開演10分前には無事に到着。今回のゲストは元 T&E SOFT の内藤時浩さんです。パソコン誌では「西の内藤」として有名でしたが、どんなキャラクタなのはまったく知りません。
 そんなところへ騒々しく大声を出しながら現れたのがご本人でした。おとなしい人をイメージしていたので、この登場シーンは意外でした。ゲームスクールの講師をしていたころからトークが達者になったそうですが、イヤイヤどうして…それこそ天賦の才能では?
 講演内容ついては、ゲーム保存協会のHPに詳しくアップされていますが、驚いたのは雑誌で見覚えのある容姿とは別人のようになっていたこと。このまま和服姿で高座に上っても似合いそう…というのが率直な印象です。ゲーム制作をネタに新作落語ができそうな、そんな強烈なキャラとトークで観客を飽きさせませんでした。
 もっともご本人は病気をしてからトレーニングに目覚めたそうで、筋トレで鍛えた身体のほうもアピールしたい感がアリアリでした。…となれば、目指す方向は新日プロと近からずとも遠からず。今回は遠慮されてしまいましたが、次なる機会にはぜひ腕相撲で時間無制限一本勝負を…ネッ、首都圏に住むようになっても肩書は「西の内藤」さん!


〜〜〜〜 ちょっと一言ご挨拶(2018.12.20)〜〜〜〜

じいちゃん


 最近の傾向として「じいじ」という呼び方が流行しているが、どうしても卑語である「じじい」を思い起こして好きになれない。
 著名なラジオ番組で「じじィ」「ばばァ」を親しみを込めて使っているという司会者がいたが、その部分だけでその番組も司会者も大嫌いだった…。
 とりあえず「じいじ」以外なら名前でも何でもいい…ということで、今のところ「お」のない「じいちゃん」に落ち着いている。
 お世話になった空調服も、さすがに今ではタンスの奥に入ったまま。寒さに弱い私は、コタツで丸くなってジッとしている…なんていうわけがない。
 寒空の中、この8月に生まれた4番目の孫のために、未開墾の荒地をスコップで耕し、記念樹(リンゴの苗木)を植えていたのだ。
 ネットで調べたところ、早ければ3年後には結実するらしい。真っ赤なおいしいリンゴも楽しみだけど、孫の成長はもっと楽しみ…。
 もしかすると、孫とじゃれ合うのはトレーニングより好きかもしれない。早い話が、孫には弱いどこにでもいる平凡な「じいちゃん」なのですヨ。

 ところで、手持ちの古いパソコン誌から「西の内藤」さんと呼ばれていたころの画像を探してみたけど、あれだけ頻繁に誌面を賑わせていたはずなのに、数時間かけても発見できなかった。当時の誌面からはスリムな好青年というイメージしか記憶にないが、講演時のワンショットがこちら。

 あくまでも主観だけど、プログラマーというより噺家さんみたいにお話上手…なのに、今でも現役プログラマーというところに驚かされる。これはもう根性というより才能・本能による個性かもしれないネ。退役プログラマーからすれば、これはスゴいッ!
 我が身を振り返れば、プログラマーという存在がクリエイターからゲーム制作の歯車のひとつになった時点で、まったく面白さ・魅力を感じなくなってしまっていた。趣味として続けるという選択肢もあったけど、それでは一家の大黒柱としての責任を果たせない…。こんな葛藤を繰り返しながらも、ひたすら生き続けることが人生だから、こうして現在も元気でいることが最大のうれしさかな…。

 そして、この講演会ではもう1つのサプライズがあった。それは西でも東でもなく、社会現象とまでいわれた『ドラゴンクエスト』の天才プログラマー、いやそれ以前にも『ドアドア』で一世を風靡した中村光一さんが内藤さんつながりで来訪していたこと。しかもご夫婦で…!?
 何年ぶりかなァ? おそらく20年以上は会っていないような気がする。すでにプログラマーではなく経営者という立場なので、この先二度と会う機会はないと思っていた。かつては、会うたびに「結婚した?」と聞いていたのに、時の流れを感じた瞬間であった。

 ホントはお隣に奥様の姿もあるんだけど、プライバシーを重んじてここではカット。そんなことよりも、エニックスという戦場でゲームという未知なる敵に互いにプログラムで挑んだ戦友(←意味不明のようでもこれが唯一の共通項)として、彼にはこれからも輝き続けてほしいと願うのだ。
 未完成の作品を抱えて闇に埋もれていった幾多の戦友たちも、同じ戦場から栄光をつかんだ者がいればこそ浮かばれる。でなければ、総員玉砕の無駄な世界を生きてきたことになってしまう。この笑顔の再会の裏側には、そんな黎明期の「見果てぬ夢と希望」がギッシリと隠れているのである。