■ ご挨拶:第75回(2017年2月14日)■

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 本日のご来場、まことにありがとうございます。誰しも苦手な分野があるように、私にもどうしても興味を持てない分野があります。お酒を飲めないのもその1つですが、実は料理を作ることがどうにもダメなのです。お湯を沸かすのにも勇気が必要なほど…ア〜ァ。
 では、誰も料理を作ってくれなかったらどうなるのか…というと、最終的にはビスケットと水で空腹を満たすようになります。昨年の春、三人目の孫が誕生したとき、まさにこんな状態が数ヶ月続きました。その結果…体重は10kg減少(←これはうれしさもある)し、さらに体力も衰えたのでしょうか…なんと帯状疱疹に見舞われてしまったのです。左腕が夜も眠れないほど痛く、とうとう病院のお世話になったのでした。
 というわけで、その痛いタイミングで行われた例の講演会では、左腕にガッチリと包帯を巻いて出席しました。その情けない姿が、ゲーム保存協会のHPに証拠写真のように残っています。

◆◆◆ 包帯男 ◆◆◆

 もちろん、数ヶ月後に料理担当者が戻ってからは普通に食事をし、減った体重もアッサリ復活してしまいました。左腕はたまにピリピリしますが、いつの日か柳瀬川の土手を孫と一緒に走ってみたいと思う今日このごろです。

 走る…といえば、自動車部には夏合宿という1ヶ月近いロングランの合宿があり、合宿中には5度の県境マラソン(←碓氷峠の頂上から合宿所までの約3km走)がありました。
 大学3年の夏、私はそこでの優勝を目指して毎日のように1500mを4本走って鍛えていました。ところが、合宿に入ると1年下の高橋友広君という強烈なライバルが、すい星のように現れたのです。基本的には他人と競い合うことに興味はないのですが、彼の対抗心は私の闘争心に火をつけるほど激しいものでした。
 ここで勝負に勝った負けたという無益な結果を披露するつもりはありません…が、本気で私個人に向かってきた相手は後にも先にも彼一人。楽しかったなァ。その時点では単に走るライバルという存在でしたが、振り返ればあれは至福の時間だったと思えるのであります。
 翌年になって、彼がリーダーとして下級生を引っ張ってトレーニングをした際も、終盤は後続の下級生をほったらかして二人のマッチレース。最後の角で私がインを取って僅差でゴールすると、即座に「同着ですヨッ!」と口惜しさいっぱいの笑顔で連呼するトモヒロ。何とも可愛い下級生ではありませんか!
 今でも彼と競い合って走っている夢を見ます。夢の中でペースアップのために呼吸法を変更するのですが、たいていはその場で「うるさい!」と突かれて起こされてしまいます。こうして、まだ抜きつ抜かれつの勝負が継続しているのです。
 残念なことに、彼は途中で退部してしまったため現在は消息不明です。大学の古い名簿で三菱電機に勤務して大阪に住んでいたことまでは判明しましたが、何とかして会いたいものです。
 風の便りでは、社内運動会の長距離走で勝って奥様となる人にカッコイイ姿を見せたとか…。私と価値観が非常に近い部分があるので、きっと今でもどこかで走っているに違いありません。そう信じているからこそ、私も走ることを止められないのです。どなたか捜してください…と言っても、無理でしょうねェ。。。


〜〜〜〜 ちょっと一言ご挨拶(2017.5.16)〜〜〜〜

 料理がらみで思い出したのだが、小学生から中学生にかけて蝶の収集に熱中していたとき、父親の知人の息子ですごい収集家がいる…ということで何度か会いに行った方がいる。
 2つ年上の音羽和紀(おとわ・かずのり)さんは、雰囲気的には色白でやさしそうなお兄さん…にもかかわらず、すでに宇都宮大学の昆虫研究会(?)にまで出入りするほどの行動派少年だった。その探求心は、まるで蝶を通じて夢を追いかけている勇者のよう…。蝶の知識や年齢差以上に、人間的なレベルの差を実感させられていた。
 それから5年ほどの月日が流れ…1970年のある日、父親が新聞の小さなスクラップを差し出した。そこには蝶の収集・研究から華麗に変身した音羽さんの姿があった。

 ターゲットが何であれ、人生をかけた夢があるということは実にスバラシイこと。そのプロセスはどのようなものなのか、この記事から3年後にケルン(西ドイツ)で音羽さんと再会した。異国の地で日本語に飢えていたこともあり、夜が白々と明けるまで「2夜連続で語り合った」と放浪の旅日記には書いてある。
 音羽さんは「料理はやはりフランスが本場。これからフランスへ移動して修行をする」と、淡々と新たな夢を語っていた。無目的で明日の見えない放浪中の私にとって、すでに追いかける夢を確立している姿は、ただただ眩しかった。
 その後、音羽さんはどうなったか…。気になる方はぜひ「音羽和紀」で検索してみてください。実は、つい先日40数年ぶりにお会いしたのだが、こちらは常に下から人生観を見上げていた立場。記憶に温度差があるのは当然のこととして、話題が蝶まで遡れば料理に無縁な私でもシェフ仲間…とはならないかナ?

 音羽さんが料理人の夢を抱いて旅立ったころ…私の夢といえば、この県境マラソンで優勝すること。それが何の役に立つのか、そんなことは考えもしなかった。中学〜高校と長距離走ではいつもクラスで二位という脇役が、単純に「二位じゃダメなんですか?」と自問自答したのかもしれない。それだけに拮抗する競争相手が出現したことはラッキーだったといえよう。
 ここだけの話…この合宿での勝敗は4勝1敗。数字的には勝ち越しているのだが、実は真の実力は彼(トモヒロ)のほうが圧倒的に上。なぜなら、彼がこの県境マラソンのためにトレーニングをしている姿を見たことがないから…。
 もしかすると、見えないところで密かに走っていたのかもしれない。それでも、それこそが紛れもない本物の実力。第一、努力する姿を見せないだけでもカッコイイよね! そんな負い目が、夢の中ではいつも勝てない存在になっているのだろう。

 できることなら、もう一度ゆっくりと一緒に会話をしながら走ってみたいなァ。といいつつ、終盤になるとどちらかともなくスピードアップしたりして…クククッ。
 ちなみに、碓氷峠をスタートした直後には「最初だけでも先頭!」という一般学生が多数。そこにトモヒロの姿はなくても、数秒後には二人の壮絶なデッドヒートが待っているのだ…。
 余談だけど、この合宿前にスポーツ刈りにしたのを最後に床屋さんでの散髪はない。それだけ気合が入っていた…ともいえるが、自分でカットできる長髪こそ貧乏学生にはふさわしいと気づいたから…というのはウソで、バイトをしては趣味のオーディオ製品に数十万円もつぎ込むためだったのだ。以来、髪型はいつも適当なまま「モテない田舎者」として今日に至っている。