イギリスで英会話スクールに通った8週間で、実力はどれだけアップしたかというと、実はそれほどの向上があったとは思っていない。勉強という意味では、大学入試のために費やした時間のほうがよほど長かったからだ。
最大の違いは、いわゆる外人コンプレックスがなくなったこと。現在と違って、当時の日本では外国人に出会うことなどほとんどない。それだけに、心理的な緊張が先立って、自信のない英語では会話の思考回路が働かないのだ。少なくとも、スクールに通うまでは…ネ。
でも、スクールに行けば英語のできない同レベルの人たちばかり。年齢こそ多少の幅はあったものの、イタリアやスイス、オランダ、西ドイツ、スウェーデン、ペルー…など、自分を含めてみんなが英語に不慣れな外人という立場なのだ。
すぐに知り合いになって、いろいろな話をするようになるのに時間はかからなかった。たいていは相互に出身国を聞くところから始まるのだが、その中にドローレスというスペインから来た若い女性がいた。いつもテンションが高く、明るく華やかで…いかにも陽気なスペイン人という雰囲気が漂う目立つ存在だった。
もちろん、だからといって特別な感情を抱くこともなく、偶然に隣の席になったときのこと。軽い挨拶のつもりで「1つだけ知っているスペイン語があるヨ!」と胸を張った。
ベサメムーチョ!
これは、幼少(←たぶん小学校低学年)のころ、現在管理をしている実家近くのお姉さん(←今では高齢のお婆さん)が、編み物をしながらよく歌っていた曲だ。それがなぜスペイン語とわかったのか、そこのところはナゾでしかない。とにかく1960年前後の日本で流行っていたのだ。
すると、ドローレスはビックリした表情で顔を赤らめながら「その意味を知っているの?」と聞いてきた。もちろん曲名以上のことを知るワケもない。平然と「知らない…」と答える。
さもありなん…と思ったかもしれない。それは「Kiss me more!」という意味だと、驚いたまま真顔で教えてくれた。今度は、こちらが逆に驚いて真っ赤になってしまう。いかに知らないとはいえ、さすがに恥ずかしくて…生涯記憶から消えない一瞬となったのであった。
…とマァ、こんな珍体験を重ねながら外人コンプレックスもなくなり、下手なりに平常心で話せるようになっていく。ここでの会話も、もちろん日本語ではなく互いに英語。先生と生徒という関係ではないからこそ、瞬時に思いつく英語で感情を表現するのが勉強となるのだ。
実際、スクールで学んだ教科書的会話よりも、こういった雑談レベルの話ができる環境こそ価値があったような気がしてならない。学校そのものは、平均的な英国長屋ともいえる住宅を改装しただけのプライベート・スクール。でも、若き日の別次元の想い出として深く心に刻まれている。
この写真はスクール最終日に撮ったものだ。あれから半世紀余り…現地はどうなっているのだろうかと気にかかる。
ということで、Googleで調べてみたところ、10年ほど前の画像ではあるものの建物はそのままの状態で残されていた。フェンスのペンキこそ青く塗り直されているけど、あの瞬間あの場所にいたのは紛れもない事実。それを確認できただけで、なぜかとってもうれしくなってしまう。
ちなみに、ドローレスの顔写真はスクール最終日に、数軒先にあったcanteen(いわゆる学食)で全員で撮った集合写真からピックアップしたものだ。もちろん、その後の消息はまったく知らない。元気でいるならば、70歳前後の陽気なお婆さんになっている…だろう。