■ ご挨拶:第73回(2016年6月14日)■ |
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腕相撲による拙著プレゼントは、残念なことに時間の関係で中止となってしまったが、実はその場の流れで自然消滅した話題がもう1つあった…ということを思い出した。 それは『ホーンテッドケイブ』や『マジックガーデン』のキャラクタ、さらには著書の中に登場するキャラクタなどを、グラフィックに縁のない私がどうしてデザインすることができたのかということ。これって意外と難しいんだってネ。そういえば、同じようなことを過去に何度か言われたことがあった…。 でも、答えは簡単! マンガが好きだったから…だと思う。幼少のころ、最初にのめり込んだのはシュールな画風と独特のセリフ回しが特徴の杉浦茂の作品。あの独自のほのぼのとした世界は、人格形成にまで影響を受けたような気がする。名作『続・猿飛佐助』今でもダ〜イ好き! それから力道山時代のプロレス放送の裏の週(?)。当時のテレビは基本的に生放送なので、おそらくは毎週中継するのが大変だったのだろう。金曜夜8時からはプロレス中継とディズニーアワーとの交互放映(1週間交代)だったのだ。そのディズニーアワーの中で、たまにあるアニメがこれまた強烈な印象を脳裏に焼き込んでいた。 とはいえ、ディズニーはあまりに遠い憧れの世界。現実的には身近にあるマンガが模写の対象となる…のだが、とにかく下手のお手本のようなレベル。どう見ても才能がない…ア〜ァ。。。 中学校に入ると、学校が終えてから学習塾に行くという子が増えた。無知な私は、そこは「きっと楽しいところに違いない」と思い込み、親に塾に行きたいとせがんだのであった。ビックリしたのは親のほう。遊んでばかりいた子が、自ら塾に行きたいとは言い出したのだから…。 ところが、行ってビックリ、見てガックリ! そこは勉強をするところだったのだ。シェ〜ッ!…と嘆きながらも、塾の控室(茶の間?)にあった『少年サンデー』を教室の最後部でコッソリと読みふけっていた。それが名作『伊賀の影丸:第4部〜七つの影法師』との最初の出会いだった。 ただし、そこですぐに模写へと移行したわけではない。下手という自覚が強すぎて、そういう気持ちにはなれなかったのだ。ところが、あるとき「影丸の描き方」というコーナーがあり、鉛筆で下絵から描くという手法に素直に従ってみたところ、信じられないほどうまく描けたのだ! というわけで…初期の模写。
白黒からカラー画にトライしたり進化の跡が見えるが、このころから忍者の興味が徐々によりリアルな白土三平の作品に傾倒していった。中でも『忍者武芸帳』からは多くのことを学んだ。光と陰、正義と偽善、信頼と疑念、純粋と打算…どこに正解があるのかわからないが、とにかく歩み続けねばならない人生。まるで迷える子羊に贈られた『心のバイブル』のよう…。
迷える子羊は、ちばてつやの作品も大好きでヒマがあると描いていた。こちらのほうが読者層がメジャーなだけに、見せたときの一般受けはよかったみたい。それにしても、ちば作品のおてんばで快活な女の子は魅力的だったなァ…。
でも、理想の女性像となるとやっぱり『忍者武芸帳』の明美だネ。純粋で、心に正直で、それでいて体術に長けている。その魅力を描こうとしたのだが、ペン入れ直前の段階まで描いて完成へのタイミングを逸してしまった。いうなれば、これは永遠の未完成先品。もしかすると、完成しないことで明美の幸せを願っていたいのかもしれない…。
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