■ ご挨拶:第67回(2014年12月8日)■

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 本日のご来場、まことにありがとうございます。新日本プログラミングとは関係のない個人的な話題ですが、1973年(昭和48年)の6月から12月までの約半年間、大学をあえて卒業せずヨーロッパを放浪していました。この経験がどれほどその後の人生に影響を与えたか、おそらく全く別の思考回路を持った人間となっていたことだけは想像に難くありません。
 最初の2か月間こそブライトン(英国のリゾート地)でホームステイをしながら英会話スクールに通いましたが、これは両親に向けた大義名分であり異国への慣熟期間。その後の孤独で自由な放浪がなければ、単なる観光旅行に終わっていたでしょう。ア、ちなみに旅はストイックなほど真面目で純粋なものでしたから・・・誤解のなきよう。

 夏のヨーロッパは気候的にも過ごしやすく快適で、中世の名残りをとどめる街並みはまるで夢の国にいるような感じです。しかし、秋が深まってくると夕暮れも早く急激に冷え込んできます。
 今日はユースホステルに泊まろうか、それとも夜行列車で別の町に行こうか・・・木枯らしで落葉が舞う中を歩いていると、寂しさと孤独感で旅を終えたくなったりもしました。そんなときよく口ずさんだ曲があります。

♪人は誰もただ一人旅に出て
 人は誰もふるさとを振りかえる
 ちょっぴりさみしくて振りかえっても
 そこにはただ風が吹いているだけ・・・♪

 今では教科書にも載る名曲ですが、この情景を晩秋のパリで実際に体験したのです。思い返せば感傷的な名シーンですが、そのときはただ心細かっただけです・・・。
 当時は同じような若者が大勢いましたから、点と点でいろいろな偶然の出会い/再会があります。それを書くとキリがないのですが、ユースホステルでは日本人同士で他愛のない話や情報交換をするのが常でした。
 旅をしている者にとって訪問した国数というのは一種のステータスですから、たとえ1日でも・・・いや一歩でもいいから「パスポートに足跡を残しておきたい」という小さな願望があります。そんな心情を見透かしたように、とあるユースホステルで出会った日本人旅行者から「簡単なマーケットリサーチのアルバイトをするだけで北朝鮮へ行ける!」という話を聞いたのです!!
 当人は日程の都合で行かなかったそうですが、実際に行った人もいるとのこと。そのときは、そういうおいしい話に巡り合うほど強運ではないと実感しただけでしたが・・・こうして思い出すだけで背筋が凍りつくようになったのは、それから30年以上経ってからのことです。
 教訓・・・幸運は決して向こうからやっては来ない。やって来るのは災難だけ。改めて・・・今日も元気で平穏無事に眠りにつけることを幸運と思うのであります。


〜〜〜〜 ちょっと一言ご挨拶(2015.3.10)〜〜〜〜

 せっかく40年以上前のことを振り返ったのだから、ついでにヨーロッパを放浪することになった本当のキッカケにも触れておこう。そもそもは学生時代に所属していた体育局自動車部(←早大では体育会ではなく体育局という)の同期たちと「1年留年して5年生になって創部40周年記念の海外遠征をしよう!」という漠然とした企画を立てたことに始まる。
 3年生の終わりのころから、いろいろな資料集めをしたりしていたのでスッカリその気になっていたのだが、実は本気でその気になっていたのは私だけ。4年生になってしばらくすると、なぜかみな就職活動をし始めたのだ。エッ…これってどういうこと? 海外遠征は? 俺たちの約束は?
 エ〜イ、だったら一人でヨーロッパに行ってやろうじゃないか…というのが最大の動機。外国のことなど右も左もわからない。ただ「行く!」と宣言した以上は行くというだけのことだ。
 とりあえずは運転のアルバイトなどで資金を稼ぎ、大使館を回って資料や情報を集めた。さらには何かの間違いで卒業してしまわないよう「どうか不可をつけて下さい!」という手紙を教授宛に書留で送った。これは学生の身分による各種の割引と、翌年の新卒という肩書を考慮してのこと。それなりに先のことも考えていたのだ。
 こうして準備万端整えた…つもりで、当時の最安ルートであったソ連経由(横浜から船に乗りナホトカ〜ハバロフスク〜モスクワ〜ヨーロッパ各地)で放浪の旅はスタートした。もちろん、用意したのは片道チケットだけ。各国にはそんな若者がウヨウヨいたし、程よい不安と緊張感はあっても、ある意味では今より安全な時代だったのである。
 ちなみに、ここだけの話…大学とは何かをまったく考えていなかった。そもそも受験前には「なぜどこにも普通学部がないのだろう?」と本気で疑問に思っていたほど。商学部を選んだのも最も普通学部っぽいと感じたからで、商業への興味は最後まで芽生えなかった。だから、大学5年間で用意したノートはたったの2冊。そして、その最初のページに書いた学生時代の目標がこれ…だ。

 おまけ程度に商業英語と簿記も記されているが結局は未達成。他の項目は自動車部に関連することが大半で、勤勉な学生とは縁遠いものばかり。30才を過ぎて合格した剣道三段と、アメリカへの旅行は二重丸(=学生時に達成)ではないもののクリア済み…とはいえ達成感を味わうような代物とはいえない。
 微妙なのは「体重65kg+胸囲1m」という体型で、ビルドアップしての目標を結婚直後にアッサリと達成したこと(←単に食事太り)。それから40年以上の月日と紆余曲折を経て、この数値は今でも目標値(←上からの)として継続中なのが面白い。
 摩訶不思議なのが、その当時に何を目指して「コンピューター」というテーマを掲げたのか、こればかりはまったくもってナゾでありわからないのだ。ウ〜ム。。。
 学生時代にこんな目標を掲げたことすら記憶にないのに、結果として創世記のコンピュータ(パソコン)に巡り合い、コンピュータの発展と共に人生を歩んできたことは事実。ただ、そこに自分自身の意志があったわけではないから、ここで目標へ向かうプロセスを感じることもなかった。
 運命というものが、無意識の中での必然の流れであるとするならば、コンピュータとの出会いに運命的なものを感じないわけにはいかない。たとえそうであっても、このそれとなく未来を示唆している目標はどこから現れたのか…感性という形で神が教えてくれたのだろうか?