■ ご挨拶:第64回(2013年12月10日)■

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 本日のご来場、まことにありがとうございます。いつも忙しく動き回っている私ですが、このところ例年に増して移動距離が伸びています。この10年ほど、車の年間走行距離は20,000km弱だったのですが、今年は4月の車検から8か月で、すでに23,000kmに達しているのです。つい先日には、総距離計が200,000kmになり…走行中にメーターを記念撮影してしまいました。
 毎週のように水洗いをしているだけですが、車はピカピカで元気いっぱい。大きな故障をすることもなく、ひたすら頑張って走ってくれている姿は…10年来の盟友という気がしてなりません。

 盟友といえば、私にとってPC-8801シリーズという一連の機種は、人生の一部を支えてくれた愛着あるパソコンなのですが、なんとこんなレトロでガラパゴス的存在であった過去の日本のマシンやソフトウェア開発にまつわる舞台裏に、多大な興味と情熱を傾ける方が遠い海の向こうにいる…ということをご存知でしょうか?
 ジョン・シュチュパニアック氏という純粋の英国人が、私が40年前に青春の一端を過ごしたイギリスで、そんな日本の黎明期のゲーム業界に興味を抱き、このヒストリカルな空間を文化として記録に残しておくべき…と思い立ち、キックスターターという出資金を募って企画遂行を後押しするシステムに名乗りを上げ、ついにはそれが認められてこの秋に来日してしまったのです。
 もちろん、その準備やインタビュー相手などはネットでコンタクトをしてのことですが、こんなことを思うだけでもアンビリーバブルなのに、それを平然と行動に移してしまう…この無鉄砲さと情熱には共感を覚えるだけでなく、ハートに相通じるスピリットがあります。これこそ、まさに「この道を行けばどうなるものか…」の精神そのものではありませんか。
 というわけで、9月と11月の二度に渡って通訳やスタッフと一緒に拙宅を訪問し、古いゲームの資料やプログラムリストを興味深そうに見ながら、いろいろな会談をしたのでした。順調にいけば、来年の夏ごろには英文の書籍として発売されるそうです。Amazonでも購入できるとのことですので、その折には、ぜひ入手して彼の努力に協力してあげてください…ネッ!


〜〜〜〜 ちょっと一言ご挨拶(2014.5.16)〜〜〜〜

 記念撮影をした…と書いたからには、いちおうその瞬間の画像を載せておかねばなるまい。といっても、客観的には何の意味も価値もないもの。実にツマラナイ。それに、よくよく見れば手ブレでピンボケの失敗作であったので、一瞬手前で撮影したものにした。

 場所は山陽自動車道上り線のトンネル内だが、今日現在すでに210,000km近くまで走っているので、本当にどうでもいい写真。マ、たいていの記念写真なんてそんなもんなんだけどネ。。。

 …で、時間的には200,000kmの瞬間より以前(9月28日と11月12日)になるのだが、次の話題のジョンさんとの信じられない対談での裏話。
 初対面であるのは当然として、そのジョンさんが私のイメージとして持参してきたのが古い雑誌からの拡大コピー。これが何と、1986年にエニックスがたった一度だけ開催した「ゲームプログラミングスクール」を告知した広告だったのだ。
 こんなマイナーなもの…おそらくは日本ですら覚えている人など皆無に近いはずなのに、なぜそれが英国人の手元に現存していて、しかもピンポイントでスポットを当てたのだろう。繰り返すが、ジョンさんは「日本語はよくわかりません」という日本語しか話せないレベルの生粋の外国人なのですヨ!
 世界的に名の知れた人物ならともかく、狭い日本の中でしか通用しないローカルゲームの制作者に、今ごろになって興味を抱くということ自体が、よほと大きなナゾのように思えてならない。もっとも、そう思うのは私だけではないようで、二度目の来訪時にはジョンさん自身にスポットを当てたテレビカメラマンが同行していたほど(放映は未定)。
 こんな奇妙な空間を作り出した「ゲームプログラミングスクール」というのは、当時のエニックスの福嶋社長との雑談中に私が出したアイデアがキッカケだった。趣旨としては、現在ある本格的なゲームスクールをイメージして提案したのだが、当時はそこまでのポテンシャルはない、すなわち時期尚早ということで3日間の集中講義と相成ったのだ。

 本画像は『マイコンBASIC Magazine』の1986年9月号(8月下旬発売)掲載のものだが、確かパソコン雑誌数誌に2ヶ月に渡って告知されていたと記憶している。
 実は、その時点ではなぜ私だけ3日連続講義なのかわからなかったのだが、後になって立案者ということでメインにしたということが判明した。受講者には拙著『マシン語ゲームプログラミング』がプレゼントされたり、エニックスとしてはビジネスというより社会貢献や企業としてのイメージアップの意識のほうが強かったかもしれない。
 ちなみに、この年の5月に初代の『ドラゴンクエスト』が発売されている。ただ、ファミコンはパソコンとは一線を画した存在(ゲーム専用機)だったので、堀井雄二氏や中村光一氏の代表作として名前が載せられていないところが面白い。パソコン雑誌には基本的にファミコンゲームは紹介されていなかったし、こんな1枚の告知広告にもいろいろな時代背景が秘められているのである。