■ ご挨拶:第59回(2011年11月29日)■

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 本日のご来場、まことにありがとうございます。前回の更新から2ヶ月余り…なのに、いくつものイベントや出来事があり、さらには思いがけぬ再会やら出会いもあって、久々に感動と興奮・感激と高揚があわただしく交錯した複雑多忙な日々を送っていたのでした。
 そんな中でも、常に頭から離れなかったのが年間3333kmの走破目標。しかし、実はこれは周囲を納得させるための当座のフェイクだったのです。本心は1日10kmとして年間3650km…でした。
 ところが、ここでちらついたのが偉大なる富士山(標高3776m)の影。どこからともなく「オレを超えてみろ!」という低い声が聞こえた…ような気がしたのです。ならば、それ(3776km)を超えて正真正銘の日本一になろうではないか(←まったくもって意味不明)という気がこれまた不覚にもしてしまったのでした!
 というわけで、今年の残り日数が少ないこともあって9月は435km。10月は旅行や所用で16日しか走れなかったのに根性で564kmを走り…さすがに両足が悲鳴を上げているのがよくわかります。
 しかし、そんな状況にもかかわらず「どうせなら4000kmを超えて富士山を圧倒したい!」と思ってしまったのです。もちろん「どうしてそんなアホなことを…!?」という罵声にも似た意見があったのは事実ですが、思いついてしまったものは仕方がありません。ここで逃げたら男じゃない!
 そんなこんなで、昨日(11月28日)までに走った距離は3609km。数字上は楽勝なように思えるかもしれませんが、達成しそうになるたびに遥かに遠くなるゴールに、すでに限界を感じている両足はパンク寸前。タイムはガタ落ち。時速10kmの最低ペースも守れず、頼みのモチベーションも下がりっぱなし…なァ〜んて愚痴は言うまいこぼすまい。気持ちよく新年を迎えるためにも、何も考えずに夢に向かって走ってこようっと。。。


〜〜〜〜 ちょっと一言ご挨拶(2012.2.15)〜〜〜〜

 走ることに限らずトレーニングをしているときは、わが身と自分の心とは完全に分離した存在のような気がする。でなければ、疲れている肉体に対して「頑張れ!」とか「泣きごとを言うな!」と叱咤激励する精神構造とのツジツマが合わない。
 この両者が火花を散らして葛藤するときの炎が「燃える闘魂」だとすれば、それは私の生命エネルギーそのものといえる。ただし、これは行動の原動力であって人間としての考え方や目指す方向性を示しているわけではない。闘魂とは、いわば無念無想の瞬間的なパワーであり、長期的な展望や行動の指針は人生観によって左右されている。
 私はよく猪木さん一辺倒と誤解されるが、猪木さんはあくまでも闘魂の師匠。人生観の師匠でありバイブルとなっているのは、実は白土三平氏の『忍者武芸帳』である。
 影丸の強さと二面性、歴史上の人物に見え隠れする欲望と偽善、明美という純粋な存在、無風道人 が語る剣の道、人生をかけた目標の先にあるもの…。この名作に17歳で出逢ってから、実に多くのことを学んだ。そして、最終的にたどり着くところは、やはりこのエンディングなのである。これこそが、究極の悟りの境地…なのではないだろうか?

 人はそれぞれにいろいろな人生を歩み、必ずいつかどこかで終焉を迎える。そのとき「われらは遠くから来た。そして遠くまで行くのだ……」と無言でつぶやきたい。とはいえ、それは影丸のように八つ裂きの刑に処されてのことではなく、この名シーンの延長線上にあってほしいのだ。

 …とマァ、こんなことを考えていると「また、マンガばっかり読んで…」と言われるのがオチなんだけど、こうして畑でモノを作れるってことは実に平和だということである。この名作は、戦に明け暮れた時代を通して、そんな生きる原点となるべき姿を示唆しているのかもしれない。