〜〜〜〜 ちょっと一言ご挨拶(2012.2.15)〜〜〜〜
走ることに限らずトレーニングをしているときは、わが身と自分の心とは完全に分離した存在のような気がする。でなければ、疲れている肉体に対して「頑張れ!」とか「泣きごとを言うな!」と叱咤激励する精神構造とのツジツマが合わない。
この両者が火花を散らして葛藤するときの炎が「燃える闘魂」だとすれば、それは私の生命エネルギーそのものといえる。ただし、これは行動の原動力であって人間としての考え方や目指す方向性を示しているわけではない。闘魂とは、いわば無念無想の瞬間的なパワーであり、長期的な展望や行動の指針は人生観によって左右されている。
私はよく猪木さん一辺倒と誤解されるが、猪木さんはあくまでも闘魂の師匠。人生観の師匠でありバイブルとなっているのは、実は白土三平氏の『忍者武芸帳』である。
影丸の強さと二面性、歴史上の人物に見え隠れする欲望と偽善、明美という純粋な存在、無風道人
が語る剣の道、人生をかけた目標の先にあるもの…。この名作に17歳で出逢ってから、実に多くのことを学んだ。そして、最終的にたどり着くところは、やはりこのエンディングなのである。これこそが、究極の悟りの境地…なのではないだろうか?
人はそれぞれにいろいろな人生を歩み、必ずいつかどこかで終焉を迎える。そのとき「われらは遠くから来た。そして遠くまで行くのだ……」と無言でつぶやきたい。とはいえ、それは影丸のように八つ裂きの刑に処されてのことではなく、この名シーンの延長線上にあってほしいのだ。
…とマァ、こんなことを考えていると「また、マンガばっかり読んで…」と言われるのがオチなんだけど、こうして畑でモノを作れるってことは実に平和だということである。この名作は、戦に明け暮れた時代を通して、そんな生きる原点となるべき姿を示唆しているのかもしれない。