■ ご挨拶:第46回(2006年9月28日)■

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 本日のご来場、まことにありがとうございます。ハッと気がつけば、いつの間にやら季節は秋。そして、さらにハッと、さらにさらにハッと気がつけば…なんと訪問者数を示すカウンターが、二度に渡ってリセットされていたのです。ガ〜ン!
 しょせん付加価値のない気休めの数字ですが、長年に渡って積算した証しが失われるのは、それなりに悲しいもの。そこで、今回より失われた証しを足し算でカバーすることにしました。概数といえば概数ですが、リセットされた数字よりは正確ということで、お許し願いたいと思います。
 どうせなら、便乗して「+1,000,000人」とすればいいのに…なんて声も聞こえましたが、プロレスラーの公式身長でもそこまで露骨なことはしませんよネ。せいぜい四捨五入程度でなければ信頼度ゼロになってしまいます。というわけで、不慮のリセットには多少の便乗アップがご褒美として与えられることになったのです…ン?
 さて、筆者にとって日課ともいえるトレーニングですが、筋トレ用ダンベルを8s→15sに変更しました。今さらどうして…という周囲の冷ややかな視線にもメゲず、こっそり全盛期のミル・マスカラスの体型を目指しているのであります。コホン!
 いっぽう、1500m走の今年のベスト記録は5分38秒です。正直「オッセー!」のですが、このところは5分40秒を切れない日々が続いています。どうやら、頭で感じているスピードと実際のスピードが違うみたいです。情けないッスね。
 そんなこんなで、新日本プログラミングは本業を忘れたかのようにエネルギーの無駄遣いをしているのでした…な〜んて油断をさせておいて、実は密かに新刊執筆の準備をしているというマル秘情報もあります。ただし、生来のノンビリした性格がもたらす完成予定は1年以上先。それまでテンションを保てるのかどうか、ホラにも夢にも近い怪しげな情報なので、あわてて期待などせず長〜い目で進行を見守っていてください…ネッ!


〜〜〜〜 ちょっと一言ご挨拶(2020.11.12)〜〜〜〜

 この「ご挨拶」からおよそ14年。誕生日祝いに買ってもらった15kgのダンベルは、今では腕立て伏せの控え役として物置で静かに鎮座している。1500m走はといえば、もはやスピード感ゼロ。時は確実に流れている…ね。
 新刊執筆? 確かに1/3ほどは書き進めたけれど、自分自身の環境の変化もあって、いつの間にやら意欲も含めてフェードアウトしてしまった。というより、それ以上に「やりたいこと」が多過ぎて時間を確保できないのだ。これもまた、一種の運命かな…?

 それはさておき、私は事あるたびに早稲田大学「自動車部出身」であることをアピールし、その過去と経験を誇りに思って生きてきたのだが、実はOBとしては名簿に名前が載っていない。
 もちろん卒業当初は名前があったのだが、あるときOB会規約に「自動車部OBとしてふさわしくない者は除名する」といった内容の条項が追加されたのだ。それまでOB会とはOBすなわち「部に4年間在籍していた者の総称」とばかり思っていたので、これにはかなりの衝撃を受けた。

 まだ若かったこともあり、トレーニングもせずに体育局出身を名乗るお年寄りOBに、一方的に除名の権利を持たれるなんてイヤだ…ということで、自ら退会を申し出たのだ。
 たとえ稲門自動車倶楽部というOB会に属していなくても、入部式から追い出しコンパを経て卒部記念のペナントまでもらった過去まで消すことはできない。あえてOB会という別組織に入会しなくても、自動車部OBであるという事実に変わりはないだろう。

 最近になって、とある仲間から「名簿に名前が載っていないヨ」と教えられた。そうか、そういうことだったのか…。早稲田というのは、もっと度量のある存在だと思っていた。

 でも、マァ「どうってことないや」という気分かな。OB会名簿の一行より、自室に飾ってある昭和46年度全日本フィギュア・団体戦優勝のトロフィー(レプリカ)と種目別優勝の楯が、手が血だらけになるまでハンドルを回して練習したことの証(あかし)だから、それで十分でしょ。

 ちっぽけな名簿の話題はさて置き、当時の自動車部にあった1960年式クライスラー・ニューヨーカーのお話。1960年といえば、日本ではまだ初代のクラウンが生産されていた時代だ。
 日本を代表するクラウンでさえ、三速コラムシフトという平凡な仕様の小型車。唯一の娯楽的装備はラジオだけ。乗用車生産において、ようやく黎明期を迎えころといえるだろう。

 そんな時代に、アメリカにはオートマチック、エアコン、パワステ、パワーウィンドー、ワイヤー式ながらリモコン・ミラーという豪華装備の車が存在していたのだ。しかも、4ドア・ハードトップでオートマチックギアの選択は、レバーではなくプッシュボタン式!
 これが1年の夏合宿における最高級車として用意されていたのだ。どういう経緯で自動車部にやって来たのかは不明だが、アンドレ・ザ・ジャイアントのような存在感があった。

 ただし、あの時代は車が急速に進化している最中だったこともあり、衰えるのも速かったようだ。なんと、1972年にはガソリン代や整備費用が掛かり過ぎるという理由で、あえなく廃車にすることになってしまったのだ。

 廃車といっても、中古市場に出すのではなくレッカー車で運んでスクラップ(鉄屑)処分にするということ。エエ〜ッ! ならば、記念にハンドルとミラーとエンブレムをもらっておこう…そう考えたのは自分だけだった。

 こうして、私の部屋には1960年式クライスラー・ニューヨーカーの名残りが、大切に飾られているのである。1年の夏合宿で、真っ先に1級Aという評価で運転した記憶は、このハンドルと共にいつまでも脳裏に焼き付いている。

 やっぱり早稲田大学自動車部は私にとって「心のふるさと」だよ。では、もしも当時の部車に1台だけ乗れるとしたら…。それはもちろんクライスラー・ニューヨーカー…ではなく、ラジオもない自動車部最後の大型トラック「1962年式いすゞTX」だネ。
 ダブルクラッチを踏みながら、ステッキのように長いシフトレバーを動かす。あのオールドで人間的なマニュアル感覚こそ、子供のころから憧れていた運転スタイルそのものだったから…。