■ ご挨拶:第45回(2006年1月1日)■

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 本日のご来場、まことにありがとうございます。本当は「明けましておめでとうございます」と書きたいところですが、それがそのまま夏ごろまで続いてしまうということもなきにしもあらずという状態では、さすがに躊躇せざるを得ないのであります。といいつつ、道楽のHPにはこうしたノンビリした風情が似合っているのかもしれませんが…。

 さて、プロボクサーとなった甥(ライト級:遠藤 圭選手)は昨年6/16の試合で敗退し、さらに1階級上げて臨んだ10/11の引退試合でも、実力を発揮できないままKO負けとなってしまいました。

 改めて勝負の世界のキビしさを目の当たりにしたわけですが、筆者にとっては日々のトレーニングへの促進剤となったのも事実です。なんと、昨年はトレーニングに励んだ日数が過去20年間で最も多かったのです。その成果は、体脂肪率=9.6%を記録したことに表れています…が、はた目にはやつれて見えてしまうのが年齢の悲しさともいえます。

 もっとも、ハリきった翌年はその反動で休養日が増えるのが通例です。おそらく、今年は油断大敵な年となるでしょう…な〜んて、どうでもいい己の体重ごときを話題にしている新日本プログラミングとは、なんとマァ平和でのどかな個人団体(?)なのでしょう。

 そんな自己評価を気にしつつも、今年も懲りずに「のほほ〜んとトレーニングに励みたい!」と密かに思っているのであります。。。\(^_^)/



〜〜〜〜 ちょっと一言ご挨拶(2023.10.1)〜〜〜〜

 いつも他愛のない文章を書いている(←ように見えるでしょ!)けど、実は文才のない私にとっては相当に労力を要する作業。畑で汗を流すほうが、根本的に性に合っているのだ。こんな内容の薄い駄文でも、時間ばかりが経過してすぐに眠くなってしまう…。

 そもそも、一般庶民の体脂肪率などに触れてどうするの…などと問い詰めると、すべてが諸行無常で切なくなってしまいそう。だから、あえて面倒なことは考えないようにしている。どうせ考えてみたところで名案は浮かばないのだから。

 そんなこんなで、いつも感性の赴くままに行動をしてまうわけだが、そういう無計画なところが甥である遠藤 圭選手にもあるのかもしれない。

 といっても、こちらの知っているのは幼少のころの圭。妙にお行儀のよい部分がある反面、とんでもない作り話をしたり、からかいに素直に乗ってきたり…面白い存在であることは確かだった。そういう記憶が抜けないこともあり、DVDの中でもついイジりたくなってしまう。

 もちろん、実際にこんな場面があるわけはないのだが、こういうセリフを言わせたくなってしまうキャラなのだ。大人になった本人には迷惑な話かもしれないけど…。

 曖昧な記憶によれば、この時期はすでに大学を卒業して、アルバイトをしながら一念発起して国語教師を目指していたころだったと思う。それも「漢字に書き順があるのを知らなかった」というレベルから始めたのだから、素人がマシン語に挑むのと相通じるものがあったのだ。

 然るに、結果として都立高校の国語教師となったのだから、面と向かっては言わなくても大いに評価をしている。そんなプロセスの中において、教育実習と重なって練習時間も思うに任せず、とりあえずはこの第四戦で「負けたら引退」という覚悟でリングに上がったのである。

 そして…敗戦。まるで『えんじの唄』そのものに「咲くのも散るのも ただ潔く…」と思っていたところ、なんと2年4ヶ月後に復活して数試合を行っている。

 その背景には、いろいろな葛藤や問題があったと人づてに聞いてはいるけど、伯父として撮影/応援に行ったのはこの第四戦が最後。もちろん、圭が復帰することに異論を唱えたりはしない。ただ、すでに役目は終わった…という気持ちの整理できなかったのだ。

 ビデオを振り返ると、コントのような両者ダウンのシーン。その直後に出した左に勝つチャンスがあったのに…と、何度見ても悔やまれる。


 ということで、この第46回の「ご挨拶」をもって、過去に更新した全「ご挨拶」が復活したことになる。時系列的には妙な第44〜46話を、意図的に最後にしたわけではない。

 ただ、HPの内容が連続していた話題だったので、それに見合う『ちょっと一言ご挨拶』が浮かばなかったというだけのこと。しかも、当初は「遠藤 圭のボクシングの話題はさておき…」と書いて、畑の通路工事の経過報告を予定していたのだが…。

 遠藤 圭選手には、ボクシングの背景に隠れたドラマがある。実は、親の転勤で鷹巣(秋田県)に住んでいたころ、秋田弁と鷹巣弁を器用に使い分けるのを聞いたことがあった。このバイリンガルの才能(?)を見て、将来は国語の先生になれる…と太鼓判を押したのが、何を隠そうこの伯父だ。これこそが先見の明というものデスよ…コホン!

 そんな遠藤 圭選手は、プロボクサー引退後に伊豆大島へ赴任したり、二人の子にも恵まれ、伯父とは違った分野で夢を追いかけて幸せに暮らしている。直接の連絡はなくても、そういう情報は届くのが身内というものなのだ。

 …と信じていたところ、昨年夏(2022年8月)慣れ親しんだ伊豆大島の海で、不慮の事故で帰らぬ人となってしまった。詳しい事情はわからないし、あえて知りたくもない。そんなものは受け入れられないから、お別れの葬儀にも出ない。出れるわけがないじゃないかッ!

 それより、遅ればせながら激励賞のお礼の言葉でも聞かせてほしい。ちょっぴりたどたどしい口調で「トオルおじちゃん…」という声から。その日を、いつまでも待っているゾ…圭〜ッ!


〜〜〜〜 さらに一言ご挨拶(2024.12.24)〜〜〜〜

 正直なところ、宗教的な信仰心というものはほとんど持ち合わせていない。もちろん、ご先祖様のお墓参りはするし、墓前ではちゃんと手を合わせているけど、それらは単に社交辞令的な儀式に過ぎない。気持ちとしては『千の風になって』の世界観なのだ。

 本当の供養とは、お寺を喜ばせるようなことをするのではなく、故人を思い出して「存在を現在に蘇らせる」ことだと思う(←あくまでも持論)。すなわち、たくさんのお線香やお花の山よりも、故人の心に寄り添う姿勢を見せるということ。それがどのような形態になるのか、一律ではなくバラバラだからこそ人格が蘇ったことになるのだ。

 とはいえ、一般常識からすれば今年の夏は圭の三回忌の法要だったはず。直接的には何も知らされていないのでわからないが、それはそれで尊重する立場に変わりはない。いずれにしても、圭はプロボクサーを引退した後も、ボクシングにかける情熱は失っていなかったのだから。

 その情熱に対する伯父からの答え…というか、供養の気持ちを込めた姿勢がこれだ。イヤ、私の姿勢というより、圭から届いたクリスマス・プレゼントかな?

 当然のことながら、圭がこのサンドバッグを叩くことはない。かといって、これをオブジェとして飾っておくわけにもいかない。否応なしにボクシング未体験の75歳の伯父自らが、両手のグローブに魂を込めてパンチングすることになる。それに、そうすることで圭の大好きだったボクシングの一端を知ることができる…。

 年齢からして、こういったことに批判的な目線や、そんなもの「やらなくてもわかる」と達観した声が上がるのは承知している。でもネ、どんなことでも想像と実際は違うもの。それを体験することでしか得られない何かが、その先に必ずあるのだ。

 想像以上にハードな運動量…すぐに息が上がってしまう。とても1ラウンド(3分)を動き回れる自信はない。これまでのトレーニングがお遊びに思えるほど。でも、圭はそれをプロのリングで実践するに至るまでの練習と努力はしてきた。

 圭がボクシングを始めたころ、口先だけで「ボクシングなんかやって…」と見下していた身内もいた。だけど、人生で大切なのはどこかへ向かおうとする情熱と努力。そんなことを、こうして無心にサンドバッグを叩く伯父を通じて、それとなく意思表示したかったのかもしれない。