この古い8mmフィルムというのは、2003年に亡くなった父親の遺品。撮影当時の試写で一部を見た記憶はあるが、大半は内容不明のまま放置されたままだった。フィルムも傷んでおり、下手に古い映写機にかけると熱で溶けてしまう恐れがある…どうしよう。
とりあえず、デジタル化そのものは専門の業者に依頼するしかない。ただ、費用のほうがそこそこ高額なので、まずは画質を問わずに全部をデジタル化。その後、内容をチェックして改めて別の業者に高画質での処理を頼むことにした。
ちなみに第93回のご挨拶集で紹介した1964(昭和39)年の運動会は、こうした経緯の末に蘇った映像から、ヒダカ君だけを抜粋してHP用に再編集したものだ。
このような動画編集がパソコンで可能になったこともあり、遠方(秋田県)かつボクシング(←正確には格闘技全般)に理解のない親に代わって、甥のデビュー戦を見に行ったのである。
甥(妹の次男)とはいえ、TDLで娘を肩車すれば次は圭の番…というように、小さいころはわが子同然に接していた。よく懐いて、とても面白い存在だったのだ。
そんな甥が、プロボクシングのリングに立つというのだから、格闘技への興味があろうとなかろうと、親が行かないのなら伯父が行くしかないではないか。心配だから…。
もっとも、こうして親しく往来があったのは小学校の低学年のころまで。成長すれば、それぞれに独自の世界を構築して、いつしか疎遠になってしまうものなのだ。
そんなわけで、中学〜高校のころの遠藤 圭選手が親元でどうであったか、実のところはほとんど知らない。とりあえず、勉強には興味を示さなかったようだ。
大学生になってからは、たぶん何度か会っているような気がする。ただ、それこそ「気がする」というレベルの話で、空白期間を埋めるような意思の疎通はゼロも同然だった。
いったい大学で何を学んでいたのか、どんな学生生活だったのか、そしていつからボクシングに興味を持ったのか、そういうメインのストーリーは知る術もない。何の前触れもない状態から、いきなりのプロデビュー戦の連絡だったのだ。
それでも、いろいろと「やりたいこと」を実現しながら、常にどこかに向かっているところは、どこかしら自分に似た部分があるような気がする。そして、そういうプロセスにいるときは、得てして親には認められないものなのである。
オイオイ…なかなか「カッコイイ!」ではないか。身内ということで、後楽園ホールの控室まで開場前に入らせてもらったけど、普通なら一般人は立ち入ることができないエリアだ。ここがプロレスの舞台裏でもあるのか…と妄想しながら、ついキョロキョロしてしまう。
デビュー戦とはいえ、さすがにプロのリングに上がるだけあって、それなりにボクサーらしく精悍になっていた。緊張感も伝わってきたので、たとえ伯父でも軽口をたたくような雰囲気ではない。写真を数枚撮って早々に退散することにした。
ということで、デビュー戦のハイライトがこちらの動画。オールドなデジカメ撮影のため、画質も今ひとつ…というだけでなく、なんと肝心のところでバッテリー切れという大失態。即座に交換したものの、KOシーンだけはワタナベジム撮影のものを流用した。
<<<<<< ジム関係者の方へ:無断使用ですが伯父ということでお許しください >>>>>>
…… 一般公開に問題があれば速やかに当該シーンを削除いたします ……
強烈な右フック…。本人によれば「それまでに何発も当てていたのに、どうして倒れないのか不思議でたまらなかった」そうだ。
実は、相手のほうもこの日が同じデビュー戦。簡単には倒れたくないから頑張るし、それ以上に自分のパンチの威力が「自己評価ほどのものではなかった」のかもしれない。すべては実戦での結果によって客観的な判断が下されるのだ。
…なァ〜んて、段平おっちゃんみたいなことは言わない。このKO勝利から、何を得て、どう成長していくのかを黙って見てるだけ。だって、経験豊富なトレーナーでも熱烈なファンでもない、単に幼少の圭を知っているだけの伯父さんだから…。