■ ご挨拶:第40回(2004年6月17日)■

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 本日のご来場、まことにありがとうございます。このところ、毎回のように更新遅れの言い訳が続いていましたが、これからは禁「更新遅れの言い訳」という宣言をしたいと思います。
 といっても、それによってペースアップに拍車がかかるわけでもないし、いつもながらの他愛のない話題しかないのですが…。

 実は、3月にわが愛車に修理不能に近い大金のかかる故障が起こってしまい、当初の予定を1年早めて買い換えなければならなくなったのです。
 ディーゼル車規制の影響で、次回の車検(来年の3月)までの運命でしたが、財政的には緊急出費ということで右往左往したのであります。ヒェ〜ッ!

 何事も予定どおりに運ばないのが世の中…ということでしょう。当HPにおいても、本来の一押し企画である「パ界伝承」より、懐古趣味的な「Z80教室」のほうが来訪者が多いのですから困惑してしまいます。ウ〜ム。

 とはいえ、たとえ本流がどこにあるのかわからなくても、自らの流れは自ら起こして行かねばならないのです。唯一わかることは「明日は明日の風が吹く」ということ。気楽といえば気楽な思考なのですが、これもまたわが放浪人生の一端なのかもしれません。



〜〜〜〜 ちょっと一言ご挨拶(2023.1.26)〜〜〜〜

 毎回のように更新を話題にしているが、これは長期間放置した際に「日付だけでもいいから更新してほしい」というメールが届いたから…だと思う。こうなると、HPというよりもはや生存確認の手段みたいだネ。

 そういえば、かつてヨーロッパを放浪(←50年ほど前の話)していたとき、旅先から両親に手紙を出すのが徐々に面倒になり、絵ハガキに「まだ生きてるヨ」とだけ書いたことがあった。やがて、それすらも面倒になり最後は文章ゼロの絵ハガキに…。
 そんな過去の想い出がフィードバックしたからなのか、何だかんだと更新遅れの言い訳をしていたのかもしれない。いずれにしても、つまらない話題であったことは間違いない。

 ところで、カラーページを全紹介した『隣人』誌について、ここで本文を出さなかったら消化不良を起こしそうでしょ。ということで、これまた全文をそのまま発表してしまおう。

 いかにもインタビュー形式で書いてあるけど、これまた編集者がページに合わせて適当にカットしたり、知らない読者向けということで強引につなげたり、話した本人からすると「オイオイ…」という部分が少なからずある。

 例えば、のっけから最初の就職先(商社:ラサ商事)と、電気業界とのつながりができたカーメイトがゴッチャになっている。作ろうとしたというオリジナル商品に関しても、そもそもカーメイト製のオリジナル商品を売ることでできたつながりなので、話のツジツマが合っていない。

 マ、ここで「ソフトウェアの売り場が上階から徐々に下へ降りてきた」という当時の秋葉原のフロア構成から始まったストーリーに触れるつもりもないし、全体的な雰囲気としてはこんな感じだったのだろう。こちらが『隣人』を知らなかったように、相手も見知らぬ私の背景まで正確に伝えられるわけがないのだ。

 何はともあれ、細かなことを抜きにすれば、当時の私の心境やエニックスの実態が垣間見えて、読み直すことは実に懐かしい時間であった。
 ついでながら、ゲームを作ることが決まってから初めて読んだ本を調べたところ、正しくは『機械オンチに捧げるパソコン・ブック』(別冊宝島27:1982年12月発行 JICC出版局)ということが判明した。まさか、その半年後にオールマシン語で『ホーンテッド・ケイブ』の制作にかかるとは…。未来とは、本当に未知なる道だと思う。

 この道を行けばどうなるものか
 危ぶむなかれ
 危ぶめば道はなし
 踏み出せば その一足が道となり
 その一足が道となる
 迷わず行けよ 行けばわかるさ

 猪木さんに教わるまでもなく、これこそが私の人生そのものだった。それに名言を添えてお墨付きを与えてくれたのが猪木さん。やっぱり永遠のスーパー・ヒーローだッ!