毎回のように更新を話題にしているが、これは長期間放置した際に「日付だけでもいいから更新してほしい」というメールが届いたから…だと思う。こうなると、HPというよりもはや生存確認の手段みたいだネ。
そういえば、かつてヨーロッパを放浪(←50年ほど前の話)していたとき、旅先から両親に手紙を出すのが徐々に面倒になり、絵ハガキに「まだ生きてるヨ」とだけ書いたことがあった。やがて、それすらも面倒になり最後は文章ゼロの絵ハガキに…。
そんな過去の想い出がフィードバックしたからなのか、何だかんだと更新遅れの言い訳をしていたのかもしれない。いずれにしても、つまらない話題であったことは間違いない。
ところで、カラーページを全紹介した『隣人』誌について、ここで本文を出さなかったら消化不良を起こしそうでしょ。ということで、これまた全文をそのまま発表してしまおう。

いかにもインタビュー形式で書いてあるけど、これまた編集者がページに合わせて適当にカットしたり、知らない読者向けということで強引につなげたり、話した本人からすると「オイオイ…」という部分が少なからずある。
例えば、のっけから最初の就職先(商社:ラサ商事)と、電気業界とのつながりができたカーメイトがゴッチャになっている。作ろうとしたというオリジナル商品に関しても、そもそもカーメイト製のオリジナル商品を売ることでできたつながりなので、話のツジツマが合っていない。
マ、ここで「ソフトウェアの売り場が上階から徐々に下へ降りてきた」という当時の秋葉原のフロア構成から始まったストーリーに触れるつもりもないし、全体的な雰囲気としてはこんな感じだったのだろう。こちらが『隣人』を知らなかったように、相手も見知らぬ私の背景まで正確に伝えられるわけがないのだ。
何はともあれ、細かなことを抜きにすれば、当時の私の心境やエニックスの実態が垣間見えて、読み直すことは実に懐かしい時間であった。
ついでながら、ゲームを作ることが決まってから初めて読んだ本を調べたところ、正しくは『機械オンチに捧げるパソコン・ブック』(別冊宝島27:1982年12月発行 JICC出版局)ということが判明した。まさか、その半年後にオールマシン語で『ホーンテッド・ケイブ』の制作にかかるとは…。未来とは、本当に未知なる道だと思う。
この道を行けばどうなるものか
危ぶむなかれ
危ぶめば道はなし
踏み出せば その一足が道となり
その一足が道となる
迷わず行けよ 行けばわかるさ
猪木さんに教わるまでもなく、これこそが私の人生そのものだった。それに名言を添えてお墨付きを与えてくれたのが猪木さん。やっぱり永遠のスーパー・ヒーローだッ!