■ ご挨拶:第39回(2004年4月22日)■

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 本日のご来場、まことにありがとうございます。目標の更新ペースを大幅に遅れる失態を演じてしまいましたが、ようやく発表できる日が訪れました。ホッ!

 といっても、この程度のペースが当HPには「お似合い」のようで、これ以上のハイペースは来訪者にも負担となりそうで…なんて、いつの時代も見苦しいのはこんな独善的な言い訳。次回は、もう少し早くなるよう最善の努力をいたします。

 ただ、問題は私的都合による雑用が多いこと。最近では、田舎のタケノコが「出るわ出るわ!」の大賑わいで、管理を任されている以上は採らなければならないのです。それ以外にも、あれやこれやと所用が降りかかってくるので、なかなか思うように活動できないというわけです。

 もっとも、大好きなトレーニング(腹筋+腕立て+筋トレ+ジョギング)時間はシッカリと確保しているのですから、やっぱり言い訳であることに変わりはありません。いずれにしても、たった今から次回に向けて準備をいたしま〜す!



〜〜〜〜 ちょっと一言ご挨拶(2023.1.26)〜〜〜〜

 田舎のタケノコが「出るわ出るわ!」とあるが、これは前年(2003年)3月に父親が亡くなったことにより、最長老としてあらゆる雑用と管理を託されたことによるものだ。すべてのものをチェックして整理して…ということで、とにかく時間と手間がかかる。

 でも、故きを訪ねて新しきを知るというように、そうした作業により得た知識は多岐に渡り、それはそれでプログラミング的な面白さと楽しさがあった、どんなことでも、正面から全力で向き合うところには福来たる…かな?

 ということで、かの『隣人』誌の表紙を開くと、カラー写真が全4ページ。そのすべてをこの「マイジョブ」が独占しており、それだけで意気込みが伝わってくる。

 ギョギョッ…いきなりの大アップ写真! だが、貴重なのは私ではない。これが1985年3月20日現在のエニックスの開発ルームであったということ。場所は新宿区西新宿にあるヒノデビル(←まだ存在している)の狭いフロアだ。

 窓際そして私を挟んだ両サイドには、所狭しとパソコンが並べられている。そんなことから、単純に開発ルームと表現したが、厳密にはここは製品開発のためのスペースではない。個人が開発したものを持ち寄って、社員が評価したりデバッグをするための場所なのだ。
 手前には打ち合わせなどの会議室、そしてその奥には営業や事務社員のための部屋、さらには社長室…と、ワンフロアがパーテーションで細かく区切られていた。

 2ページ目の会議室での写真には、入社早々の保坂氏(現マッグガーデン社長)や、私のとりあえずのマネージャーとなった曽根氏の姿が見える。
 もちろん、これは打ち合わせをしているフリをしているだけで、実際には何もしていない。手前にいる後姿の男性は、単に員数合わせのために呼ばれたバイト(あるいは何かの開発者)だ。こうした記事の写真というのは、たいていは演出されたものなである。

 3ページ目には、技術的なことを担当していた望月氏がゲーム操作をしている写真がある。年齢が近かったこともあり、開発環境を見たいと自宅まで訪ねて来たり、ゲームを知らない私に参考になりそうなゲームを貸してくれたり、何かと親切に接してくれた。残念なことに、退職後に若くして亡くなられたそうだ。

 たったこれだけの小さな画像にも、そこにはいろいろな人間模様が秘められている。そして、それは当事者以外には知る由もないゲーム史の一コマなのである。

 最後のページは、コンピュータ・ゲームの世界を編集部なりの視点で伝えたかったのだろう。本編とは無関係だが、これも1985年におけるゲーム産業の表面に出ている姿。よく見ると、最先端であるはずのゲームセンターのマシンには、なんと「VIDEO GAME」と書いてある。

 いかにこの時代がゲーム産業にとって黎明期であったか、開発風景のみならず昭和の香りがそこかしこから見て取れる。その40年後なんて…生きていることさえ想像もしなかった。