ネット接続における過渡期の産物(ADSL)については、もはや思い出としての価値もないレベルの話題だが、実はもっと古いことなのに妙に気にかかることがあった。
昨年来、多くの政治家が某カルト教団と関係があるというニュースが流れ、機関紙など関連書籍への掲載も道義的に問題視されていた。もちろん、それは公人という立場に対しての指摘なのだが、そういえば40年近く前にエニックス経由で「知らない書籍のインタビューを受けた」ということを改めて思い出したのだ。
当時、エニックスのゲーム制作者といえば大半が学生もしくは片手間の副業という時代。こうした状況下では、なかなか社会的に認知された業種とはいえない。そんな裏事情から、エニックスとしては商品実績より年齢と経歴で私をインタビュー相手に選んだようだった。
そのとき初めて耳にした『隣人』という雑誌は、B6版と小さいながらも定価のある月刊誌。よくわからないまま、エニックスの会議室でインタビューを受けた。
そのときの名刺によれば、インタビューをしたのは編集人ご本人。1985年(昭和60年)3月20日のことだった。1時間にも満たないインタビューであったが、謝礼として小旅行に便利そうなバッグをもらっている。念のためにだけど…金銭の授受はないヨ。
このバッグ、今ではボロボロになって使用不能かといえば、重宝して何度も使った割には傷みもなくほぼ当時のまま。もちろん、今でも機会があればためらうことなく普通に便利に利用している。
そんなことから、たとえ金銭ではなくても謝礼を受けたということで、書籍としての背景が気になったのである。
結論としては、入れ替わりの激しい出版業界において、創業50周年を迎えたほどの堅実な企業ということがわかった。
この雑誌『隣人』は、残念ながらかなり以前に廃刊となったようだけど、会社そのものが存続していることが逆にうれしい。
というのは、これまでに啓学出版に始まり新企画社(ポプコム編集部)〜ラッセル社(PCマガジン編集部)〜アスキー出版局…と、関連した出版社が次々と消滅していったからだ。
どんな業界でも、そこで生き続けるということは大変なことだと思う。自分自身の短い人生を振り返りながら、改めて『平家物語』の冒頭を思い出さずにはいられない。
祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
猛き者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
ということで、この『隣人』1985年5月号の目次を見てみよう。カセットテープに録音されたインタビュー内容が、なぜかこんなタイトルとなって掲載されていた。
知っている人は知っている(←当たり前)けど、そもそもCPUとは「Central Processing Unit」の略だから、これに「コンピュータ」とルビを振るのはおかしいよネ。
そんな不満を覚えながらも、当時はパソコン販売の雑誌広告でも機種欄に「CPU」と書かれることがあったから、あまり気にしないで見逃すことにしよう。
それよりも、このコーナーが『マイジョブ』となっていることに着目したい。これゆえに、学生のアルバイトや副業ではダメだったのだ。当時はまったく気づかなかったが、今ごろになって妙に「なるほど」と思うのである。