新しいネタもないのに「ご挨拶」の更新だけをしていたとは思えないけど、文末にある「心意気の一端」というのは、要するに背景イメージを変更したということ…のようだ。改めて昔の自分に「つまらないことを書くなヨ!」と言いたい。ア〜、気恥ずかしい。
そんな恥ずかしい過去はサラリと流し、もっと立派な過去に触れておこう。もちろん、平凡な自分のことではない。実は、実家の敷地内には「お離れ」と呼ばれた別棟があるのだ。
あえて「お」を付けていたからには、建設時は相応に立派だったはず…と思うのだ。実際、軒裏などの目立たない部分でも、かなり手の込んだ造りになっている。
建てたのは、明治時代に養蚕業で羽振りがよかった曽祖父(ひいおじいさん)。現状がトタン屋根ということは、おそらく昭和になってから部分リフォームをしたのだろう。戦後になってからはあまり活用されることもなく、昭和55年(1975年)の祖母の葬儀が最後だった。
調べたところ雨漏りもはしていなかったが、家というのは使わないとダメになるもの。特に基礎部分の劣化がひどく、シロアリ被害の痕跡もある。このまま放置すれば、遠からず倒壊という災難に襲われることになってしまいそう…。
室内は、物置同様に古いタンスやガラクタがいっぱい。大半は私が母屋を改築する際に移動したものだが、それらを含めて管理をするのが私の務めとなれば、いつまでもこのままにしておくわけにはいかない。
ということで、まずは室内のガラクタ類を全部撤去する。タンスなどの大物は、先に完成させた井戸脇の小屋に丁寧に磨いてから移動した。
古い書籍や古文書などは、これまた1つひとつチェックして種類別に分けてしまう。額に入った書画は、その価値がわからなくても埃を落として母屋に飾る。とにかく、ゴミ以外はすべて捨てずに保管をするのが基本方針だ。
これはご先祖に対する礼儀でもあるのだが、すべからく「捨てるのはいつでもできるが、捨てたものは二度と戻らない」という自分自身のポリシーでもある。この断捨離の時代に、それがよいかどうかはわからないけど…。
こうして、それなりに時間はかかったけど、室内はカラッポになった。古い襖(ふすま)は、悩んだ末に襖絵だけを切り取って保存することにした。たとえ美術的価値はどうあろうとも、これも明治の空気を含んだ貴重品。それに、こうすることで会ったことのない曾祖父と時空を超えて意思疎通をしているような気がするのだ。
ところで、なぜに「こんなことをしているのか?」という疑問を持った方もいるかもしれない。それは当然、これから自力でこの「お離れ」をコツコツと解体しようというのですヨ!
さすがにDIY感覚で改築しようとは思わないが、トンカチと釘抜き、それにノコギリとペンチさえあれば解体くらいはできる。常識的には業者に頼むほうが楽だけど、そこが貧民のつらいところ。費用面だけでなく、すべての廃材を資源として再利用したいという思いがあるのだ。
マ、普通の人はそういうことはあまり考えないらしいんだけど、数年前に解体した母屋に比べれば半分以下のサイズ。1年くらいかければ何とかなるだろう。そんな楽観的な予想で、壁を剥がし始めたのであった。時に、2020年8月15日のことである…。