〜〜〜〜 ちょっと一言ご挨拶(2021.7.13)〜〜〜〜
セミの幼虫が何だったのか、自分自身のことなので想像がつかないこともないけど、しょせんは結果の出ている話題。幼虫時代ばかりが長くて、セミとなったらわずかな命…というのが、世に出る大半の作品の宿命なのである。そんな後ろを振り向くのはやめよう。
ということで、前回の続編となるのは花壇工事の途中で思いついたアイデアについて。これは土手への登り口が奥の細道への入り口というか、どこか懐かしい風景に見えたことから、江戸時代の雰囲気を醸し出してみようとしたことに始まる。
そこで思い出したのが、かつて母屋の小さな庭にあった石。おそらくは曾祖父(ひいおじいさん)が明治時代に石庭らしきものを造って縁側から眺めていたのだろう。枯れた雑草を取り除くと、そんな風流な過去が思い浮かんでくる(←16年前の思い出)。
これはこれで味わいがあるけど、移動してまとめてしまえばゴロゴロしている石に過ぎない。ただ印象的な2つの石の存在は、どこかで流用できそうな気がする…でしょ!
もちろん、そのままでは石の範疇から抜け出せないが、ここから先は水平思考。石といえば…誰が考えてもお地蔵さん。ただし、それはどこにでもあるから遊び心とは程遠い。これでも、いちおうは元ゲーム制作者のはしくれなのだ。
そんなこんなでアイデアが二転三転…した結果、どこかで見たような気がしないでもないが、こんなお地蔵さんに変身したのであった。名付けて「スライム地蔵」の親子。
大きなお供え餅は、知り合いの古物商からもらった練り物石をペイントしたもの。たぶん石灯篭か何かのヘッド部だと思うが、これも以前から使い道を考えていた1つだ。
同じくお供えの饅頭とみかん。こちらはもちろん本物…ではなく、スイカボール(シャーベット)とフルーツの器にセメントを流し込んで作った模造品だ。おいしそうに見えたのか、手に取って触りたいという散歩中のお年寄りも…。
こうしてお地蔵さんが道行く人の目を和ませるようになったころ、早くも次なるアイデアが脳裏を駆け巡るから忙しさが止まらない。
時代が江戸なら、街道筋には道標(みちしるべ)がなければ…ということで、これまた余っていた角材を流用することとなった。
しかも、どうせなら本物らしくするのは当然。下書きの文字をルーターで彫り込んで、丁寧にペイントをする。とはいえ、素材が木の場合は劣化が早く、すぐ腐ってしまう。そのため、下地は三度塗り、文字も二度塗りして耐久力アップを図ってあるのだ。
単なる土手への登り口が、時代を超えた異空間への入り口に見えれば大成功。元を思えば、崩れかけた不安定なボロ土手だったのだからネ。とはいえ、その先へ続く細道のほうは未完成のまま。数年後には完成してる…かな?
ちなみに、画像では道標の先端が傾斜しているように写っているが、これはカメラアングルから来ているもの。実際には、ちゃんと水平に加工されているのでご安心を。そこではなく、新日本プログラミングの香りを道標の文字から感じてもらえたらうれしい…。