〜〜〜〜 ちょっと一言ご挨拶(2021.3.19)〜〜〜〜
この20年以上前の「ご挨拶」については、書いた本人の目線で見てもちょっと情けない。もしも当時の自分に言えるなら、ズバリ「泣き言を言うな!」かな。
でも、マァ…いずれ時期がくればどこかに落ち着くというのは間違いのないことで、今ここでこうしている姿が、結果としての落ち着く先だったのだ。未来は予測不能な方向へ進むことが少なくないけど、すべては因果応報…何らかの事情・背景が複雑に作用して「なるようになった」のである。
とはいえ、未来予想図を描いて自ら歩もうとすれば、少なくとも努力ゼロより「よい方向へ進む」のは経験則が物語る。もちろん努力でカバーできない運命もあるけど、それはそれで振り返れる時期になればよい想い出として残る…実に「人生すべて塞翁が馬」そのものだネ。
ということで、例の『不思議の国のアリス』風ジオラマの隣に目を向けてみたい。場所としては玄関正面の棚の真ん中なのだが、当初はとりあえず平凡に可愛らしい博多人形を飾っていた。
この人形をここに置きたいという深い根拠があったわけではなく、単に実家に残されていたものを無造作に置いた…という感覚だ。ただ、意識して見直してみると、可愛らしさに加えてどこか昔懐かしい昭和の香りが漂っているでしょ。
昭和30年代前半までは、野原や空き地がいっぱいあって自然も豊かだった。そのすべてを肯定するわけではないけど、ビルの谷間に沈む夕陽より山や森に沈む夕陽のほうが美しい…と感じる。
そんな気持ちでこの二人に合う情景をイメージしていると、いろいろな背景が思い浮かんでくる。背景が見えてくると、今度はそこにイタズラをしたくなる。それらが重なって、最終的な全体イメージが出来上がってくるのだ。
とはいえ、この博多人形自体がケースも含めて1つの完成形。これに後戻りのできない手を加えるというのは、とても勇気がいることなのである。商品という形態ではなくても、現状より存在価値が下がってしまっては元も子もないからネ。
実は、このケースの裏側には「贈り物としての由来」が書かれており、個人的には失敗を許されないプレッシャーがあるのだ。どんなものでもそうだが、全く同じものは二つとない。それを知りつつ、自分勝手なイメージを作り出そうというのだから、それは当然のことといえよう。
唯一の救いは、たとえ失敗しても誰も怒る人がいないということ。ある意味、これは寂しいことでもあるのだが、そうした感情よりも夢が見えたら「迷わず行けよ!」が優先されてしまう性分。加工を思いついた時点で、すでに「賽は投げられた」のである。
私に見えた背景は、こんな夕焼けの世界だった。LED照明が透過するような用紙を選び、背景を描いて夕陽を演出してみたのだが、これだけでもケースの裏側には穴が開く。もう後戻りはできない…。
さらに、この照明の両サイドには実は小型のボックス・スピーカーが2つ…背面の壁に向けて斜めに埋め込まれているのだ。夕焼け空の用紙上部がカーブしているのは、単なるデザインではなくスピーカーやライトの存在を隠す役目も担っていたのである。
そもそも『不思議の国のアリス』風ジオラマには、完成後にもBGMの予定などなかった。そういう意味において、この博多人形がもたらしたイメージの追加は、想定を超えるものとなっていったのだ。画像からもわかるように、まだケースの完成形すら見えていないというのに…。