◆転職の手みやげ

 アスキーから『マシン語ゲームプログラミング』が出版されて、しばらくすると編集を担当したT氏(広告のT氏とは別人)が、一身上の都合というお決まりの事情で退職した。長期にわたって共通の仕事をしてきただけに、今後どうするのかと思っていたところ、なんとT氏は啓学出版に再就職をしたのである。
 もちろん、当時の私には初耳の会社。そこにどのような人脈があったのか、あるいはどんな営業をしたのか、それについてはわからないし興味もない。ただ、同じ出版関係を選んだT氏にしてみれば、新天地に「手みやげ」がほしい。そこで、人脈である私に声をかけてきたのだ。

 これが二冊目の著書 88版『はじめてのマシン語』が誕生したそもそものキッカケである。当の本人は、数ヶ月で再び退職してしまったため、この原稿は「手みやげ」から「置きみやげ」へと姿を変えたが、すでに私には啓学出版という新たな人脈が形成されていた。
 種々の事情で、この 88版『はじめてのマシン語』が世に出るまで、それから1年以上を費やしたが、もしもこのとき「手みやげ」がなかったなら、98版『はじめてのマシン語』もないし、Z80版/8086版『マシン語秘伝の書』もない。もちろん本書(←『燃える闘魂マシン語伝説U』のこと)もPマガの歴史とともに消えていただろう。やはり、出かけるときは「手ぶら」よりも「手みやげ」があったほうがいい……???


★啓学出版★
 自然科学や工学などの分野では準大手という存在であったが、残念なことに1994年に経営者が亡くなったことをキッカケにして倒産してしまった。
 Pマガを発行していたラッセル社も最終的には倒産。パソコン誌『ポプコム』を手掛けていた新企画社も、そして『マシン語ゲームプログラミング』を出版したアスキーも、それぞれに紆余曲折はあったにせよ実態として消滅してしまった。
 バブル経済が崩壊したのが1990年代になってから。同様に、1980年代に面白いように進化と成長を遂げてきたパソコン業界だが、ソフトウェアにしても書籍にしても拡大してきたパイが飽和状態になれば、その先に待っているのはパイの奪い合い。さらにはパソコンの主たるジャンルであったゲームは、ファミコンなどのゲーム専用機の台頭でパイそのものが縮小し、ついにはバブルがはじけるようにソフトハウスや出版社が崩壊していったのであった。
 パソコンそのものはCPUの高速化やOS(Windowsなど)の進歩で成長し続けているが、その陰で日本独自の仕様であったPC-98シリーズは完全に存在感を失い、世界標準のPC/AT互換機(DOS/Vマシンともいう)の大波に完全に飲み込まれてしまった。
 実はMACも一時期は存続が危うかったのだが、これがなくなると独禁法の問題がからんでくることから、別路線を歩むような形で残されたという経緯がある。現在では、それが独創性や個性という社風にも似た「こだわり」となって認知されているところが面白い。
 しょせんすべては諸行無常。ゲーム作家だのスタープログラマーだのといったところで、振り返れば時代の隙間に咲いたほんの瞬間のあだ花なのだ。末路というには早すぎるが、消息不明のゲーム制作関係者がどこでどうしているのか・・・あのジョン・シュチュパニアック氏が浮世絵画家と同じと嘆くのもわかるような気がする・・・。