◆一致した波長

 周囲の不安をよそに、とにかく私は原稿を書き上げた。しかし、本の原稿とはどういうものかわからないから、勝手に『入門ゲームマシン語』というタイトルをつけ、イラストまで自分で描いていた。さて、それからどうしたものか……?
 そこで、人脈として浮かんだのがアスキーのT氏である。たった一度の出会いであったが、彼は私のことを覚えていてくれた。そして単行本の編集スタッフを紹介してくれたのであった。ただし、そこから先は自分の力で道を切り開かねばならない。それがビジネスの人脈であり、不正○○とか裏口××などのコネとは違うところだ。
 その結果、アスキーの判断は「このままでは本にできないが、大幅な修正に応じる気があれば本になる」というものだった。
 それは願ってもない最高の返事。思いつきで書いた原稿が、最初から完璧なものであるはずがない。しかも、それはアスキーにとっても面倒な作業である。これだっ!! 私の求めていた波長とは、まさにこの「修正を求める」という意欲だったのだ。

 こうして、時間はかかったが88版『マシン語ゲームプログラミング』は完成した。初めてワープロソフトに出会ってから、ちょうど1年後のことだった。
 営業という出会いが、本を書くキッカケと人脈をもたらしてくれたのである。だが、人と人の輪に終わりはない。出会いの先には、必ず新たな出会いが待っている……。


★プログラミング★
 初めての著書となった『マシン語ゲームプログラミング』というタイトルは、原稿が完成してしばらくしてから知らされた。具体的には、印刷に回る直前の段階だったと思う。つまり、個人的にはタイトルのネーミングにはまったく関与していなかったのである。
 それまで『入門ゲームマシン語』というシンプルなものを想定していたので、この「プログラミング」という冗長な響きに即座にはなじめなかったのだが、その後の自身への関わりを思うと、よくぞアスキーがこのタイトルを引きずり出してくれたと感謝しないわけにはいかない。
 どういったプロセスでこのタイトルに決定したのか、そのあたりの流れはまったく不明だが、表紙のロゴデザインやイラストを見れば、アスキーの気合の入れ方が半端でないことは一目瞭然。修正を求めるという、下手をすれば高圧的とも受け取られかねない姿勢の裏側には、それだけ本気で出版事業に取り組んでいるからこその情熱と愛情があったのである。
 一生懸命に書き上げた原稿だからこそ、一生懸命に「よりよいものに仕上げる」のが本当の編集者や出版社の仕事。ケチをつけるだけの編集者が多い中にあって、幾多の議論の中から誕生した本書には、まるで異国の放送局から流れるラジオ番組と波長がピッタリ合ったような輝きがあった。私にとっては、単なる偶然とは 思えない波長の一致だったのである。