◆ヘボ将棋の縁

氷山の一角という言葉のとおり、氷山は全体積の9割が海面下にあるという。これを、そのまま氷山に遭遇したときの注意と思う人はいないだろう。タイタニック号の船長じゃあるまいし、そんな場面に出くわすことのほうが難しい。すべて物事には裏があり、表面に現れた部分だけで価値判断をしてはいけないということだ。

つまり、プロレスの話題があったからといって「ぼくはプロレスが嫌いです!」というんじゃ、裏を読んだことにはならないのだ。では、裏に何が隠されているのか……。そんなことをいちいち書いていたら、1冊の単行本ができてしまう。だって、プロレスラーは試合よりトレーニングに数倍のエネルギーを費やしているんだから。

佐々木武蔵がパソコンに出会って10ヶ月後にオールマシン語のゲームを作った……なんてことは表面的などうでもいいこと。プロレスでいうなら、ズブの素人がわずか10ヶ月後にデビューしたにすぎない。大切なのは、そこに至るトレーニングのプロセス。その秘密を見抜いてこそ、裏を読んだことになるのだ。

1回目の挫折から立ち直った武蔵が考えた次の一手とは、失敗に終わったゲーム解析の「いろはの"い"の字」を教えてもらうことだった。つまり、なぜ最初の解析は失敗に終わったのか、そこに成功へのカギが潜んでいるような気がしたのだ。では、誰に……。次の一手というからにゃ、将棋が縁を取り持ちそう。なんと、エレクトロニクス技術者の一人は、武蔵のヘボ将棋仲間だったのだ!

タモリ(←本名)博士。武蔵と同年代にして、博士の称号が似合うオジさん。彼もまた、熱烈な猪木信者である。棋力は、武蔵より数段上。が、どういうわけか、武蔵とは互角の戦いとなる。博士に言わせると、武蔵の棋風は「両手に斧を持って振り回してくる凶暴流」とかで、頭脳派にはこの上なく危険とのこと。

おっと、そんなことはどうでもいい。博士は会うたびに「もうギブアップしたら?」と断念の誘いをかけていたのだ。いっぽうで「聞かれた質問にはウソをつかずに答える」という約束だけは守り通してくれた。持つべきものは友人だね、やっぱり。

武蔵は、モニタを使っての解析方法をシッカリと教わった。聞いてみれば、たわいのないこと。でも、初心者の悩みなんて、しょせんはそんなものなんだよネ。やさしいことも、わからなければ難しいことと区別がつかない。こんな苦労は、悩む価値のない無駄苦労だ。もっとも、今では『はじめてのマシン語』があるから、武蔵の二の舞になる人など皆無と思うけど……。

方法さえわかれば、残るは武蔵の得意な体力勝負。地道に解析していけば、やさしいだけにピタピタわかる。誰がギブアップなんかするもんかい。結局、2ヶ月かけてゲーム1本の解析が完了。その時点で、武蔵には同様のゲームを作るだけの基礎知識が備わっていたのであった。


※ 時は流れて……

この時代(1980年代前半)のソフトウェアには、コピープロテクトという概念がほとんど存在していなかった。もちろん、現在とは比較にならないほどシンプルな内容だが、中にはご丁寧にプログラム(データ込み)のダンプリストを掲載したものもあったほど。そういう時代だからこそ、独学の道が開かれていたといえるだろう。
ちなみに、現在隆盛のゲームスクールは1990年ごろからポツポツと姿を見せ始めた。さかのぼること数年前、かのエニックスが武蔵の提案によって臨時のゲームスクールを主催したことがあるが、そんな経緯を知っている人も今では少ない……。