■ ご挨拶:第4回(1998年10月6日)■

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 本日のご来場、まことにありがとうございます。前回、そう遠くない日に更新できそう…などと書いておきながら、やはりそれなりの時間が経ってしまいました。いちおう、カレンダー上ではスケジュールを立てていたのですが、予定外のことが起きるのは世の常であります。
 何が予定外のことだったのか、そんなプライベートな釈明を必要とする人はいないでしょう。しかし結果として『おたすけ忍風伝』の発売を3週間ほど延期しなければならなくなったことは、とにもかくにも事実として公表しなければなりません。眠い目をこすりながら、心よりお詫びいたします。
 そんなわけで、ゲームのほうもホームページのほうも、なかなか満足のいく状態にならないのですが気長に待っていてください。そして、これからも一般ユーザーのために孤軍奮闘する新日本プログラミングを応援してくださるよう、どうぞよろしくお願い申し上げます。


〜〜〜〜 ちょっと一言ご挨拶(2009.3.18)〜〜〜〜

 当時『おたすけ忍風伝』に集中していたのは明白だが、右ヒザの痛みもあってこの年は18回しか走っていなかった。翌1999年はもっと少なく13回。右ヒザの故障は、75kg前後で推移していた体重も関係していたに違いない(最盛期は85kg)。走る回数が2002年に110回にまで回復するにつれ、体重のほうも徐々に減少して2003年には学生時代とほぼ同じ(63kg程度)になった。
 そんなこともあって、3/15の荒川市民マラソンは身体も軽く絶好調と感じていたのだが、マラソンの魔物は思わぬところに潜んでいた。堤防や河川敷のコースは道幅が狭く、コンスタントにマイペースで走ることができないのだ。ランナーの波を縫うように、スピードを上げたり下げたり、さらにはぶつからないようによけたり、路肩の草むらにはみ出して抜いたり…と、目標タイムをキープするために普段の練習では味わったことのない神経とエネルギーを費やさなければならなかった。
 その結果どうなったか、後半の未体験ゾーンに入ってから突如として視界が暗くなり、ふくらはぎ、太もも、つま先、両肩に明らかに疲労を感じる痛みが襲ってきたのである。
 もはや完走は無理かと落胆しかかったそのとき、目の前に現れたのが給水地点。ドリンクで乾いたのどを潤し、食べることなどないと思っていたバナナ、パン、レーズン、おにぎり、ついにはシャーベットまで口にしながら、どうにかこうにか苦しさを耐え忍んだのであった…。
 その他にも、言い訳じみた理由をあげればキリがない。でも、すべては経験値の低さがもたらした情けない醜態。妹には「こ〜とし60のおじいさん…なんだから、それで上出来」と慰められたけど、世の中にはスゴい人がいっぱいいるのだ。ホント、まだまだ修行が足りんわい…。