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[その81] 更新日:2018年12月20日

ようこそ

新日本プログラミング

人目の訪問者 殿

◆◆◆ ご挨拶 ◆◆◆

 本日のご来場、まことにありがとうございます。子供のころ、大人って口先だけでズルい…って感じた記憶はありませんか? 単なる上から目線で「できる/できない」を決めつけたり、実は受け売りの浅識なのに「このままだと今にこうなる」とエラぶったり…するときです。
 子供心に「できない」が確定するのは本人が諦めたとき、未来に不安材料があるなら「そうならないように自らが率先して行動を起こせば?」と思ったものですが、そんな反論は許されない古き昭和の時代でした…。
 そんなこんなで、こういう大人にだけはならないようにと常々意識はしているのですが、果たして子供たちにはどんな大人として映っているのでしょうか。不幸にして(←イヤ、意識もなく?)そんな大人になってしまったご同輩を見るたびに、わが身を振り返っては自己点検をしています。とにもかくにも、純真な子供に「ズルい大人!」なんて思われたら悲惨ですから…ネ。

 脈絡がありそうでなさそうな展開ですが、よく「近ごろの若者は…」という声を耳にします。この不快な枕詞も、そのプロセスを探るとそれがブーメランであることがよくわかります。
 1960年代…多くの若者や学生たちは時の権力者に対して強く反発していました。国会周辺でのデモや大学校内でのロックアウト(机や椅子で校舎に入れなくようにすること)は日常茶飯事。その応援歌のような存在が岡林信康の『友よ』やジョーン・バエズの『We Shall Overcome(邦題:勝利を我らに)』でした…。
 要するに、いつの日かそう遠くないうちに「われわれ若者が打ち勝つときが来るから、それまで頑張ろう!」ということです。年老いた権力者たちが世代交代によって去れば、必ず平和で明るい世界がやって来る…はずだったのですが、アレレレレ???
 不確定の「いつの日か」より前に、学生から社会人となる日がアッサリとやって来たのです。そこで思い知らされるのは「現実に迎合しなければ生きていけない」ということでした。すなわち、権力に対して従順に流されるか、過去の理想を捨てて権力者予備軍となるか、いずれにしても生活基盤を築くことが先決となるわけです。
 当時の若者や学生が信じた変革への熱いエネルギーの先に待つ未来…それが現在です。いま権力者側にいる老人は、全員が「かつての若者」です。この不条理な因果応報を、現在の若者は歴史上の教訓として知ることができます。いつの世も、そんな若者の心を忘れた「近ごろの老人」が平然とのたまうのが「近ごろの若者は…」なのでした。
 ということで、定番の結論は「ゴチャゴチャ不平不満を述べる時間とゆとりがあるならば、無我の境地でトレーニングに汗を流しましょう!」ということです。全力で数キロを走れば、どんな不満や欲望よりも「当座の苦しさからの脱却」のほうが最優先課題となりますから…。


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